拍子抜け
雑木林は今も変わらず管理されているようだけれど、関係者以外立ち入り禁止の看板が下がったフェンスは、私が子供の頃と同じく穴が空いたままだった。
幼い頃はこの穴を潜って学校への近道に通っていたわけだが、さて、今はどうしよう。大人が入れるようなスペースなど、どこにも……。
「失礼致す」
突如隣から涅槃さんの声が聞こえた。
涅槃さんは服を脱ぐ。ニットのワンピースとサルエルパンツをポイ、と投げ捨てて全裸になった。唐突な奇行。何してるんだこの人。
と、次の瞬間。
二メートル強の彼は、ぐんっと体に力を込めて、あっという間に十メートルの本性を現したのだった。
「さあ、匿名殿。これならフェンスを跨げるでござるよ」
「……な、なるほど」
そう返すしかない。脱ぎ散らかされた服を拾って、彼の手のひらに乗る。
善次郎さんも目を丸くしながら涅槃さんに飛び乗り、がしゃどくろはそのまま双子池まで歩いて行った。あっという間の出来事だった。
「おお、おお、匿名殿か!」
抜き身の刀をぶんぶん振り回しながら、落ち武者の霊が駆けてくる。
「ひえっ」
子供の頃の私を追いかけ回したそのままの姿に、思わず悲鳴が出かけた。相変わらず怖い。頭に刺さった矢くらい抜いておいてほしい。
音を立てて縮んでいく涅槃さんが服を着ている間に、私と善次郎さんは落ち武者の話を聞くことにしたのだった。
「あの、池と池の間に立っている祠こそが、我らが殿が封じ込められてしまったものでございます。お札が貼られておりまして、我々は近づけませぬ」
「我々って……落ち武者、複数いるんですね」
「殿と共に命を投げ打った同胞ですからな。死してもなお、共におります」
よく目を凝らしてみると、雑木林の陰からこちらを覗く足軽たちの姿がちらほら……馬のいななく声まで聞こえてくる。完全に囲まれている。これは、頼みを断りにくい状況だ。
「祠の扉に張り付いてる、あのお札を剥がすだけでいいんですね?」
「左様にございます……お頼み申し上げます、どうか殿を自由に」
頭を下げられ、私は双子池に近づいていった。池に何かが潜んでいるということもなく、簡単にたどり着く。祠の扉には、雨風でボロボロになった紙の札が、それでもしぶとくへばりついていた。
慎重に剥がす。破ってはいけないような気がした。
「おお……おおお……」
地響きのような声が祠から聞こえてくる。
「匿名、ゆっくりこちらに戻ってこい」
善次郎さんの言葉に頷いて、私はそろそろと祠から距離を開けていく。
祠が大きく揺れた。まるで地震でも来たかのように祠が揺れ続ける。ガタガタという大きな音が雑木林に響いて、消えていった。
「おおおおおぉぉっ!」
祠の扉が弾けるように開く。
飛び出してきたのは馬だった。
そして、馬に跨る鎧武者。
血走った目が、私を捉える。
「……礼を言う」
「声ちっさ」
先ほどの、おおぉー! という雄叫びは何だったのか。
鎧武者はボソッと呟くようにそれだけを言うと、馬の上から、ぺこり、と頭を小さく下げて、落ち武者たちの元へと向かって行った。
「殿のご復活じゃあー!」
「うおおー!」
家臣たちの盛り上がりぶりが物凄く大袈裟に見えるほど、殿は静かだった。
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