宝石少女と箱庭 | ナノ
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貧乏人とエメラルド

 市の健康診断の通知が来たので、七神指総合病院に連絡をして、そこで健康診断を受けることにした。市の補助もあり、わずか三千円ほどで内臓の機能を検査できるという。貧乏人には助かる話だ。
 原付で病院の駐車場までやって来て、止まる。
 養父である闇原ゲンジに頼って生活すれば楽なのだろうが、俺にとって養父は、俺を養子にしただけの上司であり、輝石会に所属させてくれる恩人。むやみやたらに負担をかけていい存在には思えなかった。
「はい、じゃあいつもの病室でお待ちください」
 月見の監視をしているせいか、顔をすっかり覚えられている。いつもの病室、と月見がいる部屋を指されて、俺はなんだか気まずい思いをして扉を開けた。
「……何だこれ」
 そう言うしかなかった。
 信楽焼の狸の置物がど真ん中に鎮座している、左右寺右京のベッド。一番入り口に近いベッドにはいつも通り月見がおり、ベッドから下りて狸の置物をツンツンとつついていた。見舞いに来た左京が呆れたように置物を見ている。
 新しく入院したらしい口裂け女が、心配そうにそのやり取りを見つめる中で、看護師一名とこの病院の院長が狸の置物に語りかけていた。
「大丈夫、少しチクッとするだけだから」
「いつも月見ちゃんにやってる痛くないおまじないしますから」
 狸の置物は答えない。
 人が語りかけているあたり、これはおそらく右京なのだろう。狸だけあって化けたらしい。チクッとする、という言葉から察するに、注射か何かか。
「右京……お前、注射こええのか」
「……怖かねえよ」
 狸の置物がぼそりと答えた。
 いや、怖くないなら素直に受けろよ。
「うーさん、チクッて、いたーいってするから、きらいなの、ねー?」
 置物に化けて戻らない右京をツンツンとつつき、月見はそう言った。
「男だろ、注射の一つや二つ、耐えてみせろよ」
「性別と注射、関係あるのかよ、あん?」
「というか何の注射だ」
「感染症の予防接種よ。まったく、逃げ回ってばっかりだからこれを機に受けさせようとしたら、こうなっちゃって。情けないったらないわ!」
 俺の疑問に答えたのは左右寺の注射が怖くない方、左京だった。オネエの狐は腕組みをして狸の置物を見下ろしている。
 この様子だと、俺の健康診断が終わっても、右京の予防接種は終わっていそうにない。……まあ、こいつが注射を受けようが受けまいが、俺には関係ないが。
「おじちゃん、うーさん、ちゅーしゃしないと、けんこうになれないんだって」
「だから何だ」
「ちゅーしゃできたら、おじちゃんにつばの石あげるから、てつだって」
 ぐう。
 俺が「唾の石」ことエメラルドを掻き集めていたことを覚えていたのか、月見はそれを交渉材料にしてきた。欲しいならやるから、その代わりに右京をなんとかしろと、そう言っているのである。
「お……俺はお前の監視役であって、無闇に宝石を増やすわけには」
「にかい、ぺっぺって、してあげる」
「すまん右京、恨むな」
「手の平返しはええよ輝石会てめえこら!」
 人のことを輝石会と呼ぶな。
 俺はベッドによじ登り、素早く狸の置物に絡みつくと、チョークスリーパーで首にあたるだろう部分を締め上げた。ぐえ、という声があがり、やがて狸の置物の顔色が徐々に悪くなっていく。がたがた震えだす置物を両足でロックし、構わず技をかけ続けた。
「おい、てめっ……苦しい……! ふざけんなよ輝石会!」
「闇原影郎だ! 大人しく刺されろ、左右寺右京!」
 息ができなくなったのだろう。ボンッと音を立てて二足歩行する狸の姿に戻った右京は、すぐに腕を押さえつけられ、素早く注射針を打たれたのだった。
「ぎゃぁーっ!」
「お待たせしました、闇原影郎さん、どうぞ」
 左右寺右京の悲鳴を背に、俺は健康診断を受けるべく、立ち上がった。

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