宝石少女と箱庭 | ナノ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -




影郎の一日

 原付は便利だ。自動車の普通免許は取るのに金がかかりすぎる上、車を持ったら維持費がかかるのだが、原付はそうでもない。手軽に免許を取得できて、そんなに金をかけずに遠出ができる。
 隣町にある格安スーパーのタイムセールへと原付を走らせ、次は薬局も兼ねた小型のスーパーで他店より安く卵を手に入れる。ポイントカードを駆使するのを忘れない。溜まったポイントで全額支払えた日には、心の中でガッツポーズだ。
 生活応援プライスのティッシュとトイレットペーパーを買い込み、荷物を載せた原付で急な坂を登り、近くでトラックが走ろうものなら見事に揺れるオンボロなアパート、その名もロックンロール鼠塚(ねずみづか)へと帰ってきた。どうでもいいが、住所を書くときが恥ずかしい。
 風呂とトイレがついて、台所は玄関と合体していて狭く、四畳半の部屋が二つついている。よくクモが出る。最初は怯えていたが、今はもう無感情で殺虫剤を撒くマシーンになれる。
 トラックが通った。
 ガタンガタンとアパート全体が揺れた。
 小さな冷蔵庫に半額で手に入れたミンチ肉やネギを詰め込んでいき、リビングと呼べるか分からない一室にある五百円玉貯金箱に、本日の一枚を入れた。
 これが俺の毎日である。
 とにかく金がない。調理器具なんて包丁、まな板、鍋くらいしかない。炒め物も鍋でする。器具を買い揃える余裕がない。
 養父である闇原ゲンジに頼って生活を支えて貰えばいいと言われるのだが、俺にとってボスは負担をかけるべき相手ではないし、人から金を借りるというのは妙な焦燥感を覚えるものなので、なるべく頼らないで生きているのだった。

「おじちゃん!」
 七神指総合病院に向かい、いつもの病室にたどり着く。月見が好きなクリームパンを土産に。
 月見は口裂け女と手遊びをしていた。口裂け女──酒谷(さけたに)というらしいそいつは、虫垂炎で運ばれてきたそうだった。ストレッチャーに乗せられて唸っていたのはそのせいか。
「口裂け女って言えば、百メートルを三秒で走れるって噂があるよな」
 クリームパンを渡すと、月見はきゃーっという声を上げて目を輝かせた。
「やだ、私なんて足が遅くて、他の口裂け女みたいには走れないですよ」
 他にもいるのか口裂け女。
「せいぜい百メートル四秒です」
 速い速い。
 時速九十キロメートルなんて暴走自動車じゃねえか。
「今は病み上がりなので、たぶん五秒くらいになるかと」
「それでも速いわ」
 月見が足をバタバタさせて、酒谷を見ていた。たぶん、走って見せてほしいのだろう。しかし酒谷は病人だ。こんなところで無理はさせられない。
「酒谷が元気になるまで待てよ」
「ううー」
 何やら不満そうにクリームパンをもぐつき、月見は足をバタバタさせていた。

「うーさん、がんばれー」
 アパートに戻るより空調が効いている病院で過ごす方が快適なので、そのまま左右寺右京のリハビリを見守ることにした。
 鞭を持った「てんちゃん」が高笑いしながら、右京をピシピシと叩いて強制的に歩かせている、妙な光景が目に入った。
「ほれほれ、月見の前でだらしなくへばることは許さぬぞ」
「いてえ、しばくな! 俺ぁ怪我人だぞ、このスパルタ女!」
 まさか、てんちゃんが病院スタッフだったとは。中学生を雇うなんて何を考えているんだ、この病院。
「毎月のように左京との喧嘩で入院しとる奴を気遣う気などないのじゃ」
 あ、右京の入院の原因、左京だったのか。
 月見が右京を力いっぱい応援している。ぴょこぴょこ飛び跳ねながら、がん、ばれ、がん、ばれ、と声をかけている。リハビリ用の通路を、あと三十回ほど往復させられるそうだ。
 てんちゃんとやらに容赦はなかった。

prev / next

[ しおり | back to top ]