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お歯黒べったり


 はて、目の前には悲しげに顔を伏せる、和服の女。
 これは書物で知っている。
 どうしたのかと問いかければ、口以外に無いのっぺりとした顔を向けてけらけらと笑うのだ。
 確か、お歯黒べったり、と言っただろうか。
 こうして女性と関わると、家で私の所有権を(私の意見を聞きもせず)奪い合っている彼女達のご機嫌を損ねてしまうだろう。
 シロ太郎を見れば彼も同じ意見の様で首を横に振られた。

 致し方無し。

 話しかけずに立ち去る他あるまい。
 私が、そろりと背を向けて歩き出した、丁度その時。
 ふかふかとした体毛が、私の顔面を覆った。
 何故、体毛だと判別出来たか等、愚問である。獣臭いのだ。
 それに、何やら……不思議な感覚に襲われる。
 瞼が重たくなる。
 顔面を覆う、獣……?
 しまった……! 野衾だ!
 今頃になって自身に振り掛かった災いに気付いた私だが、野衾とは生気を吸い、人を殺める妖怪。
 私に、抵抗の術等無い。
「キアァーッ!!」
 と、突然の叫び声が私の耳をつんざいた。
 息が、出来る。

 目の前には、悲しげに顔を伏せていた、あの彼女。
 野衾は悲鳴をあげたまま、何処かへ飛び去って行く。
 野衾の弱点は。
 ……そうか。
「貴女は、私を助けてくれたんだね」
 頬を薄桃色に染め、彼女…お歯黒べったりは、頷く。
 口の他に存在しない顔だが、これ程淑やかな表情を見せられるとは、思いもしなかった。

「その女の人、誰ですか!」
「私達という者が居ながら!」
 さて。
 命の恩人は何故か家迄ついて来て、私は御覧の通り、彼女達のご機嫌を損ねてしまったのだが。
 何故、皆一様に、私の後をついて来るのだろうか。

《お歯黒べったり・野衾》

 説明を忘れていたので、させて頂く。
 野衾は、お歯黒を塗った歯に噛み付かれる事を、弱点としているのだ。




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