正直者が見る
彼女は彼に夢中だった。
まだ顔を合わせて会話した事もない彼に。
彼のためなら何だってできると豪語してやまない彼女は、その熱狂的で偏執的で妄信的な愛情を全力で彼にぶつけ続けていた。
人はそれをストーカーと呼ぶ。
彼女に何度も忠告した者がいた。
見ず知らずの女にそんな事をされて喜ぶ者はいない、やめるように、と注意する者がいた。彼らは彼女に疎まれた。当然だ。彼女の世界の中心は、彼女なのだから。彼女にとってどうでもいい者たちの声など聞きたくないのだから。
彼女は嘘をついた。彼女に忠告をする者たちの身を貶める悪辣な嘘ばかりついた。彼女が嘘つきだと分かっている者たちにはなんてことのないただの嘘。しかし、その嘘がひとたび外の世界に漏れ出てしまうと、誤解を晴らすのに難儀するのだった。
嘘は膨らんでいく。
あれを盗んだ、誰を悪く言った、何を殺した、これを見捨てた。非道な嘘がどんどん膨れていく。
ついには彼女の嘘によって失職する者まで出てきた。馬鹿正直に彼女に接して馬鹿を見た者が地獄を味わったのである。
そこで魂は発生した。
ピラニアに食われたあの魂だ。
あれは正確に言えば生霊だった。
彼女に貶められた者たちの恨みつらみが形を成したものだった。生霊は地下深くに潜み、彼女を睨みつけるかのようにずっと上を上を見ていた。
そこで出会ったのだ。流行おくれの魚の、成れの果てに。死に掛けて浮かぶピラニアに。
私を食べなさい、きっと元気になるだろう。魂は揺らぎながら言う。
彼女に捨てられた魚。彼女に落とされた者。二つの動機はほぼぴたりと重なって、やがて二対の腕と二対の足を手に入れた。鱗まみれだったが仕方ない。動きやすくなったのだから仕方ない。
最初は彼女を食らってやろうかと思っていたが、次第にその考えは薄れていった。
彼女は哀れな人間だからだった。
嘘ばかりつく、倫理観が欠落した、つきまといの常習者。とてもとても、哀れだったからだ。
だから魂と魚は結託して、こう考えるようになった。
「彼女をまともにできるのは、医者しかいない。そうだ、医者に診てもらわなければ。彼女をまともにしなくては」
にちゃり、と刺々しい歯を見せて、それは笑った。
彼女のため、彼女のため。
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