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後腐れがないように


 後腐れという言葉は面白い。物事が済んだ後にごたごたしたものが残ることを言うらしい。確かに、これは後腐れだろう。精神的にも、物理的にも。
 たしか彼女はストーカーじゃなかったか。彼を追い掛け回して笑顔で付きまとっていた犯罪者じゃなかったか。彼の家の前に夜中に押しかけて、呼び鈴を連打するような。
 そんな彼女が怯えた目で彼を見ている。
 正しくは、息の根が止まった彼をだ。
 彼女の手には包丁が握られていた。近所のスーパーで買ってきた安物だ。それで彼を刺し殺したのだった。結婚しましょうと迫って拒否されたから刺したのだった。
「あなたが、あなたが悪いのよ、だって私の愛情を受け取らないから……あなたが」
 血まみれのコートを羽織った彼女がぶつぶつ呟いているのを聞いて、私は笑い出しそうになった。そんなはずがあるものか。いつだって殺した側が加害者だ。加害をした側が悪いのだ。
 さて、後腐れという言葉に戻ろうか。
 これはまさしく後腐れである。
 彼女が日常に戻るためには彼の亡骸が邪魔なのである。とてもごたごたしている。彼の亡骸は発見されればすぐに事件性ありと判断され、彼女を捕まえに警察が走るだろう。ああ、かわいそうに。
 先ほどまで彼女を笑っていた私は、彼女を哀れんで、そうして、放っておけば腐ってしまう……まさに物理的に後腐れを起こすだろう彼の体を引きずり込むことにした。
 うぞろうぞろとマンホールから腕を出す。
 彼の体を引っ張って、マンホールの穴にずるずると引きずって落とす。
 おや、彼女に見られてしまった。私の鱗だらけの腕を。
 彼女はひぃと悲鳴をあげて座り込んでいた。ちょうどいい。血まみれの包丁もコートも引きずり込んでしまおう。
 うぞろうぞろと鱗にまみれた上半身をマンホールから出して、私は彼の亡骸と、包丁と、コートをひったくって地下へ戻った。

 彼女の悲鳴が聞こえる。

 何を驚いているのだろう。彼女が私をここへ捨てたのじゃないか。
 さて。さて。
 腐ってしまっては環境にも悪いから、彼の亡骸は私が食べて差し上げなければいけない。
 彼女のため。彼女のため。
 にちゃりと笑った私の口が、彼の喉元に食らいついた。




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