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この季節を忘れない 2/2


「それで入道雲くん……じゃないや」
「田山ね。ごちゃ混ぜになりすぎでしょ」
「ごめんね。頭の中で言葉が渦巻いてて、どれが本当の言葉だか分からない時があって」
「……うーん、よく分からないけど、大変だね」

 頭の中で言葉が渦巻くとは、何だろう。
 次から次へと出てくる君の情報は、何が何だか分からない。

「それに、私ね」
「うん」
「たぶん、田山くんが眼鏡を外したら、誰だか分からないと思う」
「……え? 逆じゃない? 眼鏡を外した僕が、君を見ても、視力が落ちてるから顔が判別できないっていう話じゃなくて?」
「違うの。眼鏡っていう重要なパーツ一つがなくなっただけで、顔かたちが良く似ている他人かもしれないって思っちゃうの」

 そんなのおかしいじゃないか、じゃあ自己紹介した意味とはなんだったんだ。君を問い詰めそうになる僕自身を抑えて、ううん、と唸り声を上げながら考えていると、君は弱ったような笑みを見せた。

「服装が違うと、本当に誰だか分からなくなるの……まあ、声を聞けば誰だか思い出せるんだけど」
「……記憶のしかたが独特なのかい?」

 向こうで佐々木さんと鈴木さんと内山さんが読書の意見交換会を開いている。竹本は竹内さんと冗談を交えながら川柳を作っているし、松本さんと松田くんは同じ松という字がつく同士で二本松というコンビを組もうとしている。
 僕は君と二人きりだ。
 なぜなら、君の記憶は僕以外の名前と顔が一致していないからだ。

「記憶のしかたっていうか……ううん、私にとって、記憶は、砂のようなものでね」
「砂?」
「そう、両手いっぱいにすくっても、さらさら零れ落ちていってしまって、最後に残ったほんの少ししか覚えていられない、みたいな」
「……そんなに忘れるかなあ?」
「驚くほど忘れちゃうの、それが。昨日なんて、洗濯物を取り込むのを忘れて夜までずっと干しっぱなし」
「それも、砂の記憶のせい?」
「たぶんね」

 あー。と竹本が声を上げた。
 何事かと思って彼を見ると、竹本は僕ではなく君の方をじっと見つめているではないか。
 君はきょとんとした様子で竹本を見返していた。

「そっか、木下さん、そういう体質なんだね、生まれつきの」
「あ、分かるんだ……えーと、この声は、ジョーク川柳の人……竹本さん?」
「おう、よろしく」

 僕は少しだけへそを曲げた。君と喋っていられるのは僕だけだと、君に記憶を与えてあげられるのは僕だけだと、何となくそう思い込んでいたからだ。役割を竹本に奪われたような気になって、不機嫌になっていた。
 すぐに自分の思い込みに気づいて恥ずかしくなったけれど。君にとって僕は、何の特別でもない、ただの友人なんだから。


「すぐに忘れちゃうって事は、僕と会わなくなったら、僕のことを忘れてしまうってことかい?」

 サークル活動を終えて、帰り道。乗る電車が同じだと分かった僕は、君の隣を歩いて尋ねていた。君は首をかしげて、ううん、と考え込んでいる。どうだろう、という一言の後、昼と夕方が混ざった不可思議な空の下、君は口を開いた。

「長期記憶になれば覚えていられるはずなんだけど」
「……という事は、忘れやすいのは短期記憶?」
「うん、そういう事。さっきまで何を話していたのか、とか、あれ、自分何しにこの部屋に来たんだっけ、とか」
「そんなの誰にだってあることだよ」
「だと思うでしょ? それがね、普通の人の十倍も二十倍もあるの。自分でも信じられないくらいぽんぽん忘れちゃって、予定をダブルブッキングで入れちゃったことも何度もあって……困っちゃうよね」

 聞けば聞くほど、信じられないくらい深刻だ。困っちゃうよね、なんて苦笑している場合じゃない気がする。
 そういえば竹本は君の事を“そういう体質”と呼んでいた。生まれつきだとも。

「何かの、病気なの?」

 たとえば、若年性アルツハイマー病とか……。
 君は首を横に振る。そうして小さく笑う。

「私に興味があるの?」
「え、あ、いや、話を聞く以上、必要な事は確認しないとなって」
「あー、なるほどね。大丈夫、病気ではないの。移らないから安心して」
「そういう事を心配したんじゃないよ」
「あ、そうなの?」

 駅のホームでも会話は止まらなかった。主に君が話して、僕が相槌を打つ形だった。

「でね、この間なんて、電車を乗り過ごして知らない駅に着いちゃって!」
「寝てたの?」
「ううん、起きてた。ぼーっとしてたら、扉が閉まっちゃったの」

 君の話は失敗談ばかりだ。笑って話すものだからつい、しっかりしないと、なんて言いそうになってしまうけれど、僕は僕でしっかりしている訳ではないので、君にかける言葉もないのだった。

「あ、ごめんね」

 何度目かのごめんねを言う君。

「何が?」
「私ばっかり話しちゃって。こういう事、よくあるんだよね。話し始めたら止まらなくなっちゃうの」
「別にいいよ、何と言うか……聞いていて、君の事をよく知れるし」

 君が下りる駅が来た。

「田山くんって私に興味があるの?」

 それでも君は下りない。
 ああ、忘れてるんだ。ぼーっとしているんだ。話を聞いていた僕はすぐに理解できた。
 扉が閉まりそうになる。その前に。
 僕は君の腕を掴んで、一緒に電車を下りたのだった。

「あ、あれ?」
「君が下りる駅だよ、ここ」
「え、嘘、ありがとう田山くん」

 何でも忘れる君。
 うっかり忘れる君。
 きっと明日、僕がコンタクトレンズをつけて、服装もしっかりと決めて出会えば、声を聞くまで気づかないだろう。いや、もしかしたら声を聞いてもしばらく誰だか分からないかもしれない。
 すっかり夕焼けに飲まれた空では、入道雲がそびえて僕たちを見下ろしていた。
 君が何度忘れても、僕は君を忘れない。……と、思うよ、たぶん。自信はないけど、少なくとも君よりかは覚えているはずだ。

「次の電車が来るまで五分だって。ジュースおごるよ、下ろしてくれたお礼!」
「……ありがと」
「田山くんってお人よしなんだね」
「そういう時は親切って言ってくれ」
「あー、ごめん」

 きっと、僕は君の事を夕焼け空で覚えるだろう。一緒に乗った電車でも覚えるし、自販機から落ちてきたジュースでも覚えるだろう。そうして、入道雲で僕を思い出す君以上に、ことあるごとに君を思い出すのだ。
 この季節を忘れない。
 入道雲で覚えられて、夕焼け空で覚え返したこの季節を、僕は。




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