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子育て幽霊

「おや」
 塩見さんが僕の手を取って呟いた。
 僕に触れるのは、怪異とコンタクトが取れる体質を僕にも伝搬させるためだ。
 塩見さんの視線をたどって、僕も同じ方向を見る。すると、泣き声を上げている赤ん坊を抱いて、俯いたまま立っている女の人が見えた。
 塩見さんが僕に触れているということは、あの女性はおそらく怪異なのだろう。
「佐藤くん、ごらんよ」
「何ですか?」
「子育て幽霊だ。人間の赤ん坊を抱いてる」
 僕はぎょっとして女性を見つめてしまった。女性は俯いて赤ん坊をあやしている。塩見さんが僕の両目を手で隠し、きし、と笑った。
「はっきりと見えるからって凝視はいただけないね」
「に……人間の赤ん坊を抱いているって、どういうことですか?」
「そのままの意味だよ。あれは赤ん坊の母親だろうね」
 相変わらず、塩見さんはあれだとかあいつだとか言って、怪異を軽んじているようにしか見えない。きちんと彼女と呼ぶべきではないのか、と考えていると、塩見さんは手をどかして、僕としっかり目を合わせる。
「感情移入でもしたかい?」
「少しくらい、しますよ。でも……赤ん坊は生きているんですよね? あの子を探しているご家族がいるんじゃ」
「いるだろうね。けれどね佐藤くん。育てたい母親から赤ん坊を取り上げるのは乱暴じゃあないかい」
 赤ちゃんをご家族の元へ戻すべきでは、という僕の提案を先読みしたのだろう。
 塩見さんは子育て幽霊の女性が体を揺らして赤ん坊をあやしているのを、目を細めて眺めながらそう言った。
 きっと自分を捨てた母親と、死してもなお子を愛している女性の霊とを、比べているのだろう。
「僕は……」
 口を開いた僕のことを、塩見さんがちらりと見る。

「僕は、生まれてきた子が、きちんと生きていけるように、大人が最善を尽くすべきだと、思います」

 つっかえつっかえになってしまったが、言いたいことは言えた。
 塩見さんが命を散らさないよう、養子に迎えて育てた桜子さん。
 泣く赤ん坊をあやして、日陰で俯いている子育て幽霊の女性。
 おそらく霊では、あの赤ん坊を育てきることはできない。あの赤ん坊を、生きているご家族の元へ送らなければならない。……なんて、僕は残酷なのだろうか。
「きし」
 小さな笑い声が聞こえる。
「今、ばあ様のことを思い浮かべていただろ、佐藤くん」
「な、なぜ分かるんですか」
「あの幽霊のことを見ながら遠い目をしているんだもの、分かるさ」
 僕と塩見さんは手を繋いだまま、日陰を見つめていた。
「確かに、赤ん坊が生きていけるように手を尽くすのが大人の務めかもね」
「少なくとも、僕はそう思います」
「それでも、もう少しだけ待ってようよ、佐藤くん」
 塩見さんの声が、なんとなく優しい気がした。
 彼の横顔を見ると、微妙にだが微笑んでいるのが分かる。小さな変化だ。僕でなければ気づけなかっただろう。

「死んでもなお、育てたかったという強い気持ちで赤ん坊を抱いてるんだ。もう少しだけ……もう少しだけ、親子でいさせてやろうじゃないか」

 僕は、塩見さんの手を少しだけ握る。
 塩見さんはゆるく握り返してくれた。
 そのまま二人で赤ん坊の様子を見ながら、じりじりとした日差しの中、日に焼けることはないのだろう彼に、こう尋ねていた。
「飴でも食べませんか」
 子育て幽霊に倣ったわけではないけれど。汗ひとつかかない彼が、笑った。