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町内、水入らず

 水道の蛇口から、醤油が出るようになった。刺し身につけてたべるとおいしい。なぜ水道管を通って醤油が流れてくるのか、と不思議に思ったが、近所では醤油ではなく、オレンジジュースやマヨネーズが出てくるようになっているという。
 コンコン、と扉をノックされた。普段は交流しないお隣さんだった。
「あ……あのう……」
 髪がボサボサで、上下グレーのスエット姿のお隣さんが、もじもじしながら扉の前に立っている。
 できる限り服装を整えて、扉を開けた。
「ぼ、僕の家、その、焼き肉のタレが流れてくるようになっちゃって」
 それは気の毒に。しかし私にはどうすることもできない。こちらは醤油だ。
「小さいペットボトルに詰めてあるんですけど……焼き肉のタレだけじゃ、飽きてしまって」
 そこでお隣さんは言った。
「あなたの家から出た液体は、なんですか? 焼き肉のタレと、交換しませんか?」
 ああ、その手があったか。私は頷き、うちは醤油が出ました、と告げた。ペットボトルに入れてある。
 焼き肉のタレと醤油を交換した私たちは、そこで気がついた。ほかの人たちだって、焼き肉のタレや醤油がほしいかもしれない。
 私はペットボトルに醤油を、お隣さんは焼き肉のタレを入れて、外に出た。お互いを見て、頷きあう。
「すみません、焼き肉のタレが出たものですが」
 お隣さんがノックをする。
 ご近所の奥さんが、困ったように出てきた。なんでも、マヨネーズが出てきたらしい。
「醤油と焼き肉のタレがあります」
「まあ、それは嬉しいわ。交換してくださらない?」
 私とお隣さんは、マヨネーズを手に入れた。
 次にやってきたのは、私が小学生だった頃の担任宅だった。お隣さんがノックをする。
「久しぶり、元気にしていたかい? 実はうちは、牛乳が出てきてしまってね」
 醤油、マヨネーズ、焼き肉のタレを出すと、担任だった林先生は喜んで牛乳を分けてくれた。
 次に足を運んだのは、誰も近寄りたがらないあの屋敷。お婆さんが一人で暮らしている、誰とも関わりがない家だった。
 ノックする。
 返事がない。
 私とお隣さんは顔を見合わせ、首を傾げる。
 ノック、ノック、ノック。
 誰も出てこない。
 家の扉は開いていた。
 思いきって家の中に足を踏み入れてみる。お婆さんは、リビングにいた。耳が遠くなっていて、ノックが聞こえていなかっただけのようだ。
 よかった、倒れているわけではなくて。
「うちはねえ、お茶が出てくるのよ」
 お婆さんは言う。
 お婆さんは、焼き肉のタレや醤油を見て、あらあら、と笑った。飲めないのは不便ね、と気の毒がってくれた。
「普通の水が出るまで、お互いの家を行き来することになると思います。飲み水と調味料を交換しましょう」
 お隣さんはゆっくりと言った。

 普通の水が出るようになるまで、三日かかった。水ではないものが蛇口から出るようになった原因は、未だに不明らしい。
 社会は変わった。
 調味料の交換をしあっていた私とご近所の皆さんは、すっかり親しい間柄になっていたのだ。
 お婆さんの様子を見に、必ずご近所の人々が訪ねることにもなっていた。
 近所付き合いが少しだけ濃くなった私とご近所さんは、困ったときはお互い様の精神で、顔を合わせるたびに「お元気ですか? 蛇口はどうですか?」と挨拶をかわす仲になっている。