春のあたたかい風に誘われてひらひらと舞う桜の花びらが、包み込むような夕日に照らされている。きらきらと美しい。わたしはオレンジ色に染まる校舎を一度振り返り、遠くから聞こえる部活動の音をBGMに帰り道に歩みを進めた。
 目の前の数メートル先には初々しいカップルの姿。2人だけの世界に酔っているような空気とぎゅっと握られた手は、互いの体温を確かめあっているようで、甘い甘い青春の香りがした。
 なんて、どこか他人事のように思う。恋なんてしなくてもわたしの生活は友達に部活にとても充実している。そうだ、彼氏なんていらない。好きな人なんて必要ない。
 数分後の出来事なんて予測できないわたしは、この時まで自分の心を信じて疑わなかった。


 その時、一段と大きな風がふいた。と同時に足元に転がってきたテニスボールを手にとり、テニスコートに視線を向ける。そして、駆けてきたテニス部の男子生徒と目が合った。
 それからはまるでスローモーションのように。わたしは嘘みたいに恋をしたのだ。舞い落ちる桜越しに見える彼の瞳から目が離せなかった。まるで時間が止まったように、わたしと彼は動かない。わたしの夕暮れに染まる視界にうつるのは彼しかいなくて。音だって何も聞こえないくらいなのに、心臓がこんなにもうるさいのだから不思議だ。
 桜の花びらだけが2人の間で時を刻んでいた。




 興味がなかったわけではない。ただ機会に恵まれず自分は恋愛というものと無関係なんだ、と半ば諦め半分で過ごしていた。そんなある春の日、俺はいとも簡単に恋に落ちた。テニスボールと桜が俺を導いてくれたようにも思えた、そんなロマンティックな出会いだった。
 何故だか分からないが、俺は花びらを纏って立っている女の子に強く惹き付けられた。小説でしか知らなかったそれに、あぁ、人はこうして恋に落ちるんだ、と生まれて始めて味わった感覚を冷静にとらえている自分がいたのも事実で。

 まるで魔法にかかったみたいだ。この世に2人しかいないような錯覚に陥ったことを疑うことすらしなかった。




 泣きたくなった。まっすぐな瞳をしている彼に、放課後のテニスコート脇というシチュエーションに、そして、彼に恋をしたわたし自身に。
 好きな人がいらないなんて嘘だ。本当は、甘い雰囲気を纏ったカップルが、誰かを愛しく思う気持ちが、うらやましかったのだ。


「ボール、拾ってくれてありがとう」
「うん」


 わずかに言葉を交わしてボールを渡す。ほんの少し触れた指に、ドキドキと一層鼓動が早まる。どちらともなくぱっと腕をひいた。しかし、なぜだろう。2人とも視線を外そうとしないのだ。

 ―そうか。止まっていた時間が動きだそうとしているのだ。いっそのこと、相も変わらずふうわりと辺りを散歩する桜の花びらに、すべてを任せるのもいいかもしれない。ゆらりゆらり、流されてしまおうか。今は頼りないこの気持ちも、いつかは焦がれ慕い、悲しみと切なさとを纏った恋心になるのだろうか。この人となら恋というものにさらわれてもいい気がした。


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恋風/大石秀一郎
これを聞きながら書きました。一部引用させていただいた歌詞は作詞者様に帰属します。
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