memory
ずっと、気になっている人がいる。
話すような仲ではなく、挨拶すらしたこともない。エントランスなんかでたまに見掛けるくらいだった。
いつからだろう。こんなにも気になり始めたのは。
「あ、ほら。あの人たちがタークスだよ。
右から〜………黒髪のツォンさん、最近入ったばかりのイリーナさん。それからスキンヘッドのルードさんと、赤い髪のレノさん。
同じ会社の人間だから大丈夫だとか思うけど、噂ではタークスって結構危ない人の集まりらしいわよ」
「タークス………」
「近付かなきゃ大丈夫だけど、気を付けなさいよ!」
確か噂好きの同僚がそんなことを言っていた気がする。しかし私の視界にはあの綺麗に彩る緋しか見えなかった。
「………あれ?あの人名前なんだっけ?」
その後も緋い彼を度々見掛けた。
これは自意識過剰かもしれないけれど、たまに彼からの視線を感じることがある。
ただ遠くを眺めている先に私がいるだけかもしれないけれど、本当に見ているんだとしたら少し嬉しい。
「今日もいない………か」
エントランスを通る度に彼を探している。
働いているフロアが違うためタークスには別途共有スペースが設けられていることもあり、私たちの共通する場所はここしかないのだ。
(私の物も随分赤色が増えちゃった)
ハンカチ、ペン、ポーチ、髪留め。
以前は黒やネイビーばかりだった物たちが、段々と赤色になっていく。
でも未だに彼のような美しい緋色をした物は1つもなかった。
(タークスって社内にいないことも多いから今日もきっと会えないってことかな………戻ろ)
エントランス奥にあるエレベーターに乗り込むと少し動いただけですぐに止まる。珍しく2階で止まったようだった。
扉が開くと会いたかった彼が見える。
「!!」
2人きりの状況で少し緊張したが、彼が素早くエレベーターの扉を閉めたところを見ると急いでいるようだ。
同僚は近付かなきゃ大丈夫って言っていたけれど………この距離はかなり近い。
「なぁ、アンタたまに見掛けるけど事務員か?」
(え、私?)
まさか声を掛けられるとは思っていなかった。心臓が大きく跳ねたような感覚。
今までにないくらい緊張する。
「えっと、はい。そうです。
あの………その格好ってタークスの方ですよね?」
「ああ、知ってんのか。俺のこと」
どうにか話を続けたくて私も彼について質問をする。これはきっと顔見知りになれるチャンスなんだと思う。
「あ、すみません。入社したばかりで同僚に軽く教えてもらっただけなんです。よろしければお名前を伺っても?」
「レノだぞ、と。アンタは?」
「ツカサっていいます。
名刺………は、要らないですよね。事務員のなんて」
ちゃんと渡した方がいいかなと思ったけれど、仕事をする上で直接関係のない女の名刺なんて要らないに決まっている。
そう思い、胸ポケットから取り出しかけた手を戻そうとすると急に掴まれた。
この状況が何だかよくわからなくなり、彼を見るとニヤリとした笑顔を向けられる。
「くれないのかよ」
「え?」
「名刺、くれないのかよ。
あんたの名刺欲しいぞ、と」
気付いた時には彼の顔が間近にあった。腕を捕まれ、反対の手は腰に回される。まるで抱き寄せるような体勢になるが、その動作が速すぎて頭が全くついていかない。
それでも美しい緋色だけはよく見えた。太過ぎず細過ぎず、その髪はとてもサラサラしている。遠くから眺めるだけじゃわからなかったことが今知れて嬉しい。
それに、この緋さがどこか懐かしくて愛しく思える。
「緋い………」
「は?」
「(もっと、レノさんのこと知りたい………)
レノさんって緋色のような美しい緋なんですね」
「アンタそれ口説いてんのか?」
「口説く?」
「あ?無意識かよ」
正直に感想を言ったつもりで、そんな軽々しいことをしたつもりはない。
どんなに色んな赤色の物を探しても見付からなくて。
探し求めていた緋から目が離せない。
「そんな美しいものを口説くだなんて下品なことしません。愛でているんです!」
咄嗟に言った言葉が少しおかしいと思った時にはもう遅い。変な女だと思われたに決まっている。
きっと私はチャンスを逃した。
チンッ、と音がしてエレベーターの扉が開く。
恥ずかしさでもう目も合わせられなくなった私は逃げるようにその場から立ち去った。
グイッ
(!?)
背中に衝撃を感じると、至近距離にまた彼の顔があった。
降り損ねたことに気付いたがボタンに手が届かずエレベーターが再び動き出す。
「くっくっくっ………面白いな、アンタ。
この名刺に書いてある連絡先はもらったからな、と」
その言葉を徐々に理解すると止まることなく、頭の中で木霊する。
今まで関わってきた男性にはないストレートさにときめいてしまったが、嬉しさと恥ずかしさが入り交じって全く落ち着くことができない。
(れ、連絡くれるってこと………!?)
私がドキドキしっぱなしなのを知っているかのように、彼は目線を下にしてカッコよく手の甲に口づけた。
長い睫毛と、目を瞑ったような表情に益々ドキドキする。
「えええ!?」
「色気のねぇ声だな………まぁ、いい。
アンタは俺を口説くつもりはないみたいだが、俺はアンタを口説くことにしたぜ」
理解の容量を超えた脳がパニックを起こしそうになる程、もう何も考えられなくなった。
閉まりかける扉の向こうからニヤリとした笑顔が覗く。
「アンタの緋い顔も可愛いぞ、と」
一体どこまでドキドキさせれば気が済むのだろう。
掴まれた腕
口づけられた甲
消えることのない感触………
まるで触れられたところ全てに熱が集中する。
1人残された空間で思わずズルズル………としゃがみこむと溜め息が出た。
「危ない人ってこういうこと………?」
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赤の種類の中でも、緋と朱と紅で迷いました。
地毛だと思っているのですが、あんな地毛カッコよすぎます。
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