(タオ+ヒカリ+チハヤ/わくアニ)
※現パロでオフィスパロ。


賑わう繁華街の夜は、ちかちかと瞬く線香花火みたいにかすかに危なくて、夏のお祭りの終わりのように別れ難さを孕んでいる。自分の細い手首には到底似合わないキツくてゴツい銀の腕時計を見ると、そろそろ零時になりそうな時刻だった。
真新しい革のショルダーバッグが何度もずれ落ちそうになるので、仕方なく両手でベルトを抑えて歩く。その姿が店のショーウィンドウに反射して映ると、いかにも新米で仕事が出来ないサラリーマンが疲れた瞳を闇夜に向けている。撫で肩であることを忘れてショルダーバッグを買ったことを、深く後悔した。

通りかかったカフェに立ち寄ってグリーンティーを注文し、書類を確認していく。今日終了した案件は事後報告の為のファイルへ、まだ片付いていない案件は理由と原因を考えて、どう片付けるかを決める。
お得意様への挨拶を兼ねて、かつ自社製品の新作を宣伝してくるという仕事の真っ只中にいる私は、最初簡単だと適当に考えていたのをすぐに改めた。ノルマが甘いからこうして自分で試行錯誤する余裕があるが、厳しいノルマの会社だったら即クビになっている自信がある。
今こうして就業時間外にも仕事のことをやっているのは、何を隠そう、昼にいっぱい居眠りをして予定の半分以上遅れてしまったからだ。午後に急いで東奔西走して何とか残業で残されないとはいえ、このままでは明日も同じ調子、いや、それ以上に大変な事態に陥ってしまう。
自分からすすんでやらないと、ちゃんと仕事をこなさないといけない。

カフェの開店時間は零時までだったらしい。お店の従業員に「閉店時刻ですよ」と事務的に話しかけられてからやっと気づいた私は、急いでグリーンティーを飲みほして再び夜の町に躍り出た。
三十分程後になっただけだが、繁華街は水を打ったように静かになり、明かりも神社の灯籠みたいに奥深いものになった。狭苦しくよそよそしい町が、急に姿を変えては優しい母のように微笑んでいる。
数週間住み始めたばかりのアパートに、帰りたくなかった。アパートが汚いから、というわけではない。まだ完璧に仕事が終わっていないのに帰るなんて、と思うと不安で胸が押しつぶされそうだ。案外私は、勝手に自分を理不尽な考えで苦しくしてしまうことがあるのかもしれない、と独りごちる。
住宅街の中ほどに位置する公園には子供の声は無く、壊れかけの街灯の明滅の度にまばたきを繰り返す。歩道の端に寄せられら銀杏の葉が、夜風に乗って足元を何枚か通過していく。排水路を流れる下水の音と共に、コオロギの音色や羽虫の羽音が背後に遠ざかっていく。
歩を進める黒い革靴をじっと見つめていたが、美味しそうな匂いと蒸気を感じとった。足を止めると、普段なら入るのを遠慮したいような裏路地に、その屋台はあった。
朱色の暖簾の奥では橙のカンテラが四個ほど吊るされていて、暖簾の下から覗く腕がラーメンを器によそっている。屋台に併設されたカウンターに座る人も下半身だけが見えて、黒いヒールを履きグレーのスカートを着た女性が一人だけいた。
臆病よりも好奇心が勝ったのか、それとも単に食欲が旺盛だったのか。私は迷うこともなく暖簾をくぐって、空いていた端っこの席に座る。
「いらっしゃい」
開口一番、鍋を煮込む青年の料理人が無愛想に挨拶をした。予想以上に、若い。童顔ということもあるかもしれない。
気怠そうに、しかし手際良く、ささっとラーメンをあっという間に一杯作って、私の前に出した。
「なにぼーっとしてるの。うちの注文はラーメンだけ。食べないなら、帰って」
五秒間思考が停止していた私にとげとげしい言葉を投げかけられ、もはや反射的にラーメンを口にした。ダシに鰹の味がして、しみじみと美味い。
「あれ、あなた、うちの会社の広報課に新しく入ってきた方でしょうか?」
一つ空席を空けて隣に座る女性から唐突に声をかけられ、見覚えのある姿を脳内でのんびり探しつつ、一致した時には腰が抜けるかと思った。
会社の代表取締役、まだ全てうろ覚えの私でも何とか覚えた、社長の次に偉い人。何でも会社勤めを初めて間も無く専務にまで出世したという、社内で伝説の人物と呼ばれている。
「は、はい。ええと、先輩はラーメンを食べに?」
発言してから、軽々しく先輩と呼んだことが酷く恥ずかしくなった。聞いた限り彼女は二十代後半らしく、自分は三十代前半で歳上だ。今まで会社務めなどろくに無かった私にとっては頭の上がらない存在で、若くて実績を積んだ素晴らしい人だろう。歳上の男に先輩と言われ、侮辱された気分になったかもしれない。
「うん、そう。このラーメンを食べに、暇があれば毎日。あ、先輩なんて堅苦しく呼ばなくても、ヒカリで大丈夫ですよ〜」
落ち込む私の心内を察するように、のんびりと言う。
「では、ええと、ヒカリさん、で。その、ラーメン美味しいですね」
「うんうん、本当に美味しいです。特に鰹ぶしのダシがよく効いてる」
「よく言うよ。たまには違う味も良いなあ、とかこの間ぼやいてたくせに」
無愛想な料理人が、すかさず口を突っ込む。
「それは私の気まぐれだよ。本当にチハヤくんの料理は美味しいから、自信持って」
「気安く呼ぶな」
突き刺さるような冷たい物言いだが、ヒカリさんは焼酎片手に笑っている。社内で見た時は凛として見えたのに、思っていたよりもフランクな態度が、私の緊張を解きほぐしてくれた。
「あなたの名前は……確か、タオさんでしたね」
「はい、その通りです。ヒカリさんに覚えて頂けて、光栄です」
「私、社員の方全員のプロフィールを覚える癖が付いていて、中々抜けないんですよ。確か、釣りと魚がお好きで、香水や南国の果物が苦手でしたっけ。そして三十代前半だと……ああ、初対面ですみません。面食らったでしょう」
「いえ、全然」
面食らったというよりは、違う世界の人間なんだなあと改めて思ってしまっただけだ。
「どうです、広報課の仕事は。順調にいってますか?」
流石伝説の専務、単刀直入に聞いてきた。正直に伝えて、怒られないことはあり得ないだろう。でも、嘘をつく芸当も出来ない。
「……それが、あまり。中々、仕事が進まなくて」
「へえ。それは、どうしてでしょう?」
ここ何日も既に徹夜をしていて、身体も心も疲弊しきっていた。私は、嘘をつくことすら出来ない。
「昼間に、昼食などを食べた後にきまって眠くなってしまって、二時間以上寝てしまっているのです。徹夜続きだったことも、あります」
「うん」
「言い訳がましいと思いますが、それが原因で上手く仕事が出来ないとわかっているのですが、どうしても昼間にそうなってしまうのです。決して、怠惰な気持ちでサボろうとは思っていません。頑張ろうと、頑張っているのですが、仕事が終わらないのです」
小さな屋台に、静かな沈黙が訪れた。居心地の悪い沈黙ではなく、むしろ大好きな家族が待っている家の中の空間のようにあたたかだった。
「うん、こうしましょう」
ヒカリさんが、言う。
「タオさんには広報課、向いてないんだと思います。その靴の傷具合を見ると、頑張って行動してくれているのはよくわかりますしね。きっと宣伝として売り込む時に、ストレスがかかっているのでしょう。決めました。明日から資料課の方に移動していただきましょう」
「資料課、ですか」
「はい。この課でも外出することが多いと思いますが、自然豊かな田舎に赴いたり、興味深いことをいっぱい知ることができると思いますよ。ついでに釣りでもしてくると、楽しそうですねえ」
「そっそれは流石に、仕事中は……」
「言い過ぎたけど、まあ、それぐらい気軽にやってもらって構いませんから。また何かあったら、是非周りの人間や私に言ってください。こんな適当な上司でも何とかなる会社なので」
「自覚してるなら少しは自重してほしいね。屋台の営業時間外まで居座るの、君だけなんだからさ」
「いやあ、それは申し訳ないと思ってるけど。あ、言い忘れてた。この料理人はチハヤくんと言って、我が社内食堂で働く社員さんで私の後輩。何故か本人は夜に働きたがって、こうして屋台も一緒にやってるの。主に社員がこの屋台を利用してるし、今後も美味しい料理が食べたい時は来てくださいね、タオさん」
「勝手に紹介するな。めんどくさい……ぼーっとした新米さん、この適当な上司に唆されないようにね」
「そうそう。社長も実は結構適当なんですよ。だから、肩肘張らなくて大丈夫〜」
「ヒカリ、会社の信用が既にガタ落ちだから、それ以上言わない」
「は〜い、わかりましたあ」
奇妙な先輩後輩コンビは、温度差もありながら漫才のようにテンポよく会話し合っている。
「あの、ヒカリさん」
「何でしょうか?」
「ありがとうございます。色々悩んでいたのが、とてもすっきりしました。大変嬉しかったです。また明日からも、頑張ります」
「うん、お互い適度に頑張りましょうね」
適度に、マイペースに。忘れかけていた呼吸を取り戻したかのように、私が私に戻る魔法の言葉。
「……はい。適度に、頑張りましょう」
掲げた杯を軽く交わし合い、夜の余興はもうちょっとだけ続いた。
叔父さん、パオ。私はまだまだ、会社で頑張っていけそうです。


屋台とラーメンと社員
(身の丈に合わないスーツが、誇らしく思えた)




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