(ギル×ヒカリ)


面影というのは不思議なものだ。全くその人ではないのに、瞳が求める人の欠片の幻想をちらつかせる。
鼻腔を通って肺に流れてくる、穏やかな優しい香り。薪がくべられた暖炉のあるフロアで、古い絵本を読んでくれた母の首元から漂った、あの香り。

「ギルくん、手、止まってるよ。何か考えごと?」

しごく落ち着いた仕草で本の表紙を軽くはらう、ヒカリ。本の整理をしている時に訪問してきて勝手に手伝ってくれている。この牧場主はすっかり父とも顔馴染みになり、この家にも土足で上がりこむことが最早普通だ。

「ああ……暖炉を使うようになってから、母上がそこにいるような気がしてな」

花冷えで少し寒い春、夜は暖炉の火で料理をしてみたりしている。母の得意料理だったラタトゥユも、何度か。

「この暖炉ね……ふふ。最初、町長さんがこの暖炉にハマっている所を見た時は、サンタクロースが季節を間違えちゃったのかなあ、って思っちゃった」

たいして昔のことでもないのに、とても懐かしそうに思い出し笑いをしているヒカリ。僕も自然と笑顔になり、サンタクロースの父を想像してみる。何の違和感も無い。

「お母さまってどんな方だったの?」

ヒカリは居間に飾ってある古い家族写真を見ながら、問う。かつて小さかった僕と若かった父、そして、ずっと若いままの母がそこにいる。

「聡明で美しく、優しい人だった。幼心なりに、どんな風に接してくれたかよく覚えているものだ」

病弱で大人しくても決して暗くはなく、どんな時でも僕を愛し父を愛してくれた。母の愛は偉大だった。だからこそその代償は大きすぎて、家族に大きな空白が出来てしまった……

「うん、そうみたいだね。ここに置いてある色違いのニット、ギルくんと町長さんのでしょう? 大きさがそれぞれぴったりだもの。とても綺麗に編んである」

「そうだ。そっちの三つのお揃いのマグカップも家族で使っていたんだ。当時以来、使っていないが」

それらの思い出の品を実用品にすると、あたかも母がいると体が錯覚するのだ。こんなことを言っても、よく分からないかもしれないが……

「……このニットを編み始めた時、もうお母さまは長くなかったのかな」

ぽつり、と彼女が言う。僕は少し驚いた。確かにその通り、冬にそれを編み終えて春になると母は死んでしまった。

「何故、それがわかった?」
「ううん、わかったわけじゃないの。ただ、そうじゃないかなって思っただけ。マグカップは三人ともあるのに、ニットはギルくんと町長さんの分だけでお母さまのは無いでしょう? マグカップを三人お揃いで使うなら、ニットも三人お揃いでも良いのに……と思ったけど、もしかしたらわざと自分のは作らなかったのかなあ、って」

自分の分まで作っていると死に間に合わないと知っていたから、と付け加えられる。僕は返事が出来ずに、黙りこくってしまう。何度も言うが僕は当時は七歳と幼く、母の著しく悪い容体も、ただ具合悪そうだなと感じることしか出来なかった。当然余命宣告があった可能性があり、父と母がそれを聞いた可能性もある。死を宣告されるとは、何と恐ろしいことか! 父が母亡き後も後悔と悔恨に暮れていたわけは、生前にそういう話を聞きながらも何も出来なかった、と思っていたからではないだろうか。様々な推測とそう遠くはない過去の記憶が交錯し、足元がふらつく。咄嗟に、彼女の小さな掌が僕の肩を抱く。子供を抱き上げるように温かく、少し高い目線が僕を見下ろす。

「危ない! ……ふう。ギルくん、そろそろ座ってお茶にでもしない? 疲れたでしょう」

落ち着きはらった彼女は、まるで何でもないかのように台所に向かい、お茶の準備を始めた。茶葉もポットもカップの位置も全て把握した慣れた手つきはあくまで上品で、細いうなじがしなやかに曲がる。時々思うことだが、牧場主という職業は彼女に最も合わないと確信する。不協和音は、それでも人を魅了する力を持つ。

「ヒカリ、聞いてもいいだろうか。妖精はいると思うか?」

僕が望む答えは、一つ。

「ギルくんがいると言うなら、いるよ」

母の微笑みとヒカリの微笑が、ぴったりと合致する。きれいな、きれいな面だ。

「なら、神も女神も妖精もいるんだな」

僕の母が死んだこの世界の神と女神。ぼんやりと記憶の節々で舞い飛ぶ妖精。再び僕の目の前に恢復する、優しい母。それは過去を切り取った今。
そう、家族に空白が出来たなら、空白を埋めればいい。時間をまきもどわけじゃあるまいし全てが元どおりとはいかないが、あの何もかも楽しかったころの家族に限りなく近づけいていけばいい。
いいんだ、君が例え本当は母に似ていないのだとしても。僕が見た君に、母がいればいいのだから。



空白を埋める母
(受けとったぶんだけ、愛情をあげたかった) 




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