(タオ+ポンペイ)


遠く水平線の手前に、一艘の小さな船がぽつんと浮かんでいた。開けた港から見ると、まるでお風呂に浮かぶアヒルのオモチャで、海がどれほど大きいものかを教えてくれる。太陽の光が水面を次々と反射してくるものだから、思わず顔をしかめてしまうが、そのオモチャのような船にあの人が乗っているのかと思うと、自然に顔が緩んだ。

ハモニカタウンとオオトリ島を行き来している船の船長、ポンペイさんは、誰よりも海を愛している。おじや従兄弟のパオもポンペイさんには尊敬するところがあるようだが、彼は中々過去を話してくれない。ふと聞いたことでは、何でもハモニカ号という思い出深い交易船が、今もこの世界を航海しているらしい。海と空の遠く遠くを見据えるポンペイさんの横で、ハモニカ号というのはどんな姿をしているのだろう、と思いを巡らして水平線を眺めたものだ。白い帆が風いっぱいに膨らむ大きな船なのだろうか。航海士はどのような人なのだろう。隣で佇むポンペイさんには、何となく問いかけられなくて、全ては想像のまま時が過ぎていく。

「お前さんは、行かなくていいのか?」
手の中のパイプをくゆらして、ポンペイさんの白い眉毛が動いた。
「はい」咄嗟に頷いておいて、理由を述べるのに声がつまりつまりになってしまう。
「少し、怖いのです。オオトリ島の異国の雰囲気が…。あと、南国の果物が苦手で」世間を知らない子供みたいな、言い訳。
それでもポンペイさんは、年相応の落ち着いた日常からは珍しいほどに呵々大笑して、言った。
「はっはっは。確かに、怖いこともあるな。でも、大切な人と共に行けば、きっと、そんな思いは杞憂に終わるよ」
明るい表情とはっきりとした言葉に、ああこの人は情熱に満ちた人なのだなあ、と私は清々しい思いで見つめていた。

「後悔は、しないのかい?」
出港直前になっても、やはり、はい、と言わなかった私に聞いた。
「今度、彼女とのハネムーンの時に、乗ります」
堂々として言い切ると、ポンペイさんは穏やかに微笑んで、楽しみにしているよ、との一言を空中に投げ、鳥が空に羽ばたくかのように力強く、船を出発させた。

日が傾いてくると、海は赤や紫の様々な色を映しては、揺れる。潮騒の音がかすかにこだまして、教会の鐘も鳴り響いた。いや、鐘の音は教会だけではないのかもしれない。大陸中から響き渡るような壮麗なシンフォニーが海の向こうにも広がって、夕暮れの幕閉じを盛り上げてくれた。
感傷的な気分で何も見えない水平線を見つめていると、夕暮れ色に染まった小さなオモチャが顔を覗かせた。思わず手を大きく振って名前を呼びそうになり、一呼吸置いて、心を落ち着けた。
(海賊…そう、海賊ですね)
私が密かに、怖れていたものは。
昔に聞いたおはなし。それはおとぎ話のように残酷で、けして偽りではない話。
海の上で生き、美しく豪華な宝物に囲まれて暮らす、剛の者達。
略奪し、奪いあい、血と憎しみに塗れた悲しき獣達。
そう思っていたけれど、港に着く直前に窓から顔を出して手を降る彼女の明るい顔と、操縦席のガラス越しにポンペイさんが軽く挙手の敬礼をしてくれたのを見て、もしかしたら海賊も、大切なものと共に生きることを選んだ、私たちと変わらない人間なのかもしれない、と怖れるどころか共感の念を抱いた。

でも、船よ、願はくは。
私の大切な人を、海の彼方に、
連れていかないでください。



船と宝物
(あなたはきらきらとひかる、たいせつなたからものだから)







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