「トリックオアトリート」 何の前兆も無しに、緩やかに浮上した意識の中、何かを言われた気がした。目を開けるとトンガリの生えた甘栗色の髪がこっちを見下ろしていて、何かを言っている。 覚醒しきらない頭では、何を言っているのか理解できず、「ぅん…」と、返事とも譫言とも取れない唸りを上げ、再び眠りへと落ちていった。 * 遠山の金さんが三度目の登場を果たした所で、そのテーマソングを響かせている目覚まし時計を叩くようにして止めた。朝だ。 「おはよー、苗木っち」 いつもなら先に起きて金さんを止めてくれる人物が、今日は寝坊したのかと目線を向ける。予想通り隣で丸まって寝ている姿が目にはいった。 「そろそろ起きんべー」 髪をわしゃわしゃと撫でながら、大きなあくびを一つ。ああ、今日も眠い。もぞもぞと動き出した布団虫は、曰く、「なんか調子が悪いから先にご飯食べてて」との事だ。先に行けという事は後から来るのだろう。鏡は特に見ず、ブレザーを肩に羽織り食堂へと向かう。いつも通りの見慣れた格好だ。風紀委員にはよく怒られるが。しかし、なんだろう。自分に向けられる視線が、明らかにおかしい。もしかしたら溢れ出る大人の色香のせいかもしれない。ようやく気づくとは、超高校級の生徒とは意外と鈍臭いものだ。 視線を掻い潜り、食堂に着く。そこには同じクラスの、顔見知りがいくつかいた。 「おは…」 「こちらに近づかないでいただけませんか?」 一番手前にいた、朝からゴスロリに身を包んだクラスメイトは朝の挨拶もそこそこにピシャリと言い切った。なんだかな、と思いつつ向かいに座っていた男に目を向けると、凄まじいスピードで目線を逸らされた。仲間外れは嫌だべ。こんな所には居られないと、もう一つの見知ったグループへと近づくが、一様にギョッとした顔をする。いよいよ大人の色香どころじゃない。 「…よー、おはようだべ」 「おはよう葉隠くん!君は最年長としての自覚はあるのか!なんだその格好はッ!」 「朝からうるさいべ…別に、いつもの格好だべ」 「君には常々注意していただろうに!今日は特にひどいじゃないか!」 「そりゃひでーべ」 さすがにこうも言われるとヘコむ。昨日と今日の間に何かあったのだろうか。皆一様に冷たくなるような、何かが。 石丸の説教から逃げる様に、朝食を取りに行く。帰ってきた頃には、彼は食べ終えたようでその兄弟と共に姿を消していた。 「今日も石丸っちははりきってんなぁ」 「あんたには言われたくないでしょ…」 デザートと思われるドーナツを食べながら、呆れたような顔で冷たい視線を送られる。 「ほら、これでいいんでしょ?用が済んだらさっさと次行ってよね!」と、ドーナツを小皿に分けて差し出される。はて、なんの事を言っているのからわからないが、ドーナツ狂がドーナツをくれるなんて言うのは相当な事だ。 「さっさとあっち行け」の視線に耐えられず、朝食を口に流し込む。泣けてきた。 「ゲホッ、つまったべ!」 「ちょっとやだ汚い!」 泣きそうになりながらも朝食を食べている間、何故かお菓子を沢山貰った。虐めているのか優しくされているのかよくわからない。出来ればお菓子よりも優しさが欲しい。 手いっぱいにお菓子を抱えて食堂を出ると、今度は「待ちなさい」と呼び止められた。 「霧切っちも何かくれんのか?」 すっ、と差し出されたのは手鏡。こいつも女の子らしい物を持っているんだなぁとか、これで己の醜い顔を見やがれ!って事かこれは陰湿だなぁとか思って鏡を見つめていると、セルフで鏡を顔の位置に向けられる。 「今日が何日か、知らないんでしよ」 それでやっと全て、皆の行動が繋がった。 ドタドタと廊下を掛けて行く。目指すは自分の部屋だ。手元からお菓子がいくつか落ちていくが、そんな事は気にならなかった。体育の授業でだって見せない全力疾走の、その勢いのまま、自分の部屋の扉を開いた。 「苗木っち!」 調子が悪いから、と布団にくるまっていた彼はベッドの上で、既に制服に着替えニコニコしていた。 「あはは、おはよう葉隠クン。皆の反応どうだった?」 「やっぱ苗木っちが犯人か!どうもこうもハートが壊れかけたべ!泣きそうだったべ!ブロークンハートだべ!」 片手で持てる程に減ったお菓子を机に置き、ガツガツと肩を揺する。 「だ、だってちゃんとトリックオアトリートって言ったよ!お菓子をくれなかったから悪戯しただけじゃないか!」 悪戯が成功した(実際成功しているのだが)子供の様な笑顔を引きつらせ、弁解を始める。トリックオアトリート、か。聞いた様な、聞かない様な。 「じゃあ苗木っち!トリックオアトリートだべ!」 「へ?」 「だから、トリックオアトリート!お菓子貰わなけりゃ悪戯してもいいんだべ」 「ちょっ、ちょっと違うよ葉隠クン…」 じりじりとにじり寄る。それを察したのか、苗木も後ずさるのだが背後はすぐ壁。すぐに逃げ場を失った。 「観念すんべ」 「ひッ、い、いやぁぁぁぁッ」 メデューサ様のお通りだ! (命が惜しくばお菓子をよこせ)
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