ふと時計を見ると、既に正午をまわっていた。珍しく誰も訪ねてこなかったので、つい読書に熱中してしまった。そういえばお腹が空いたかもしれない、と意識するとどんどんお腹が空いてくる。ルカでも誘って、食堂に行こう。と、自室のドアを開けると、何かにぶつかった。
ドアは開ききらないが、なんとか出られそうな程度しか開かない。僕の部屋の前に一体何が置かれているのか、少し怖い気もするが、部屋から出ないと何も始まらないと、そろりと隙間を通る。
僕の部屋の目の前、視線を下げるとピンク色の髪の毛が目に入った。そんな特徴的な人は後にも先にも一人しか知らない。アキさんだ。何故か体育座りで、僕の部屋を背にしてぼぅっとしている。
「あのー、アキさん?そんなところでどうしたんですか?」
返事はない。喋れないのだから仕方ないのだが、せめて顔を向けるだとか、反応が無ければ聞こえているのかどうかさえ怪しい。
「アキさん?」
「…」
もう一度問いかけると、今度は反応があった。相変わらずぼぅっとしているが、一点、恐らくはずっと見つめているものを指差した。
「…染み?」
指の先を辿ると、壁に出来た一つの染みがあった。どことなく赤い気がする。そもそも、この館の廊下は無人になった途端ゴミも零したジュースの染みさえも綺麗に消しさってしまうのに。その赤い染みが、なんだか不気味に思えた。
「その染みが、どうかしたんですか?」
彼はよく突拍子もない事をしでかす事があるが、何故こんなに熱心に染みを見つめるのだろう。
確かに謎ではあるが、もしや、これが館の秘密…或いは脱出の手掛かりだとでもいうのだろうか。
彼の目線と同じになれば何かわかるだろうか、と、僕もその隣に腰を下ろした。
「うーん、普通の染みにしか見えませんね」
丸い点が二つ。何かの液体が付着し、擦ったような跡がある。強いて言うならそれだけで、何かがわかるとは思えない。
それでも横では熱心に見つめているから、負けじと染みを見つめる。と、どうだろうか。なんだか動いてるような気がしてきた。
「…むし」
喋った、と思ったらいきなりその染みに手を伸ばしぎゅうぎゅうと押し始めた。
「…むし」
ああそうか、と、ようやく彼のやっている事を理解した。
恐らく、何かの拍子に見つけた染みを見ているうちに、所謂ゲシュタルト崩壊を起こして染みが動いているように見えたのだろう。それが楽しくて、ずっと見ていたーーー?
「…」
にや、と、笑った気がした。
「レミ君…そんな所でどうかしたんですか?」
「コンタクトでも落としたのか?」
「わー、レミがとうとうおかしくなった!」
ルカ、カイ、エリカが一斉に部屋から出てきて、声をあげた。もしかしたらお昼を共にする約束でもしていたのだろうか。僕に声をかけてくれないなんて、水臭いじゃないか。
「それより、一人で何してんの?」
「え?一人って…あれ」
ついさっきまで壁の染みで遊んでいたアキさんが、いつの間にかいなくなっていた。本当に、よくわからない人だ。
「レミへーんなのー」
壁の染みが、なんて説明した所でエリカ達が納得する筈もないだろう。僕は不本意ながらも、「ヘン」というレッテルを塗り重ねてしまった。
「(まぁ、いいか)」


その後、彼らと共に食堂へ行ったのだが、壁の染みから何故かたこ焼きを想像してしまい、またもや現れたたこ焼きの山に笑いが起こるのだった。