緩やかな傾斜を、車椅子を押しながら下る。今日は天気がいいからと、まだ目覚めない妹の見舞いをしていた彼を無理矢理に連れ出した。
お日様と緑のある場所でないと歩けるようにならない、と相場が決まっている、らしい。
というのも、冴木を連れ出したのも、タクトのある計画によるものだ。
幼稚な計画だ、とも思ったが、何も出来ないよりましだと思った。
「いい天気ですね。」
「そうだね。気分が晴れ晴れするよ。それもこれもレミ君が誘ってくれたからだよ、ありがとう」
冴木の様子に変化はない。雫の手術も成功し、暫く見せていた不安の影も姿を見せなくなっていた。
だからこそ、唯一違う彼の足の異色さが際立っていた。
「レミ君は気を遣いすぎだよ」
そう言ってにっこり笑う彼こそ、気を遣いすぎだろう。そう言ったところで「そんな事はないよ」とあしらわれてしまうのは目に見えているので、「そんな事はないですよ」と、冴木さんの真似をしてみる。真似と言っても、想像上の冴木さんの真似でしかないのだが。
ふわりと風が吹いて、花壇の花が揺れる。あ、と、冴木さんが声を上げた。
「どうしたんですか?」
「レミ君、申し訳ないのだが、そこのさくら草を摘んでくれないだろうか」
と、花壇の方を指差す。僕は花の事は詳しくないのだが、花壇には立派な黄色い花が大輪を咲かせていた。
「いいですけど…花壇の花なんて摘んでいいんですか?」
「レミ君、さくら草を知っているかい?」
「…知りません」
やれやれ、と、大袈裟に肩を竦めた後、もう少しだけ花壇に近づいてくれ、と言われた通りに花壇へ車椅子を押し進めた。
「これがさくら草だよ」
冴木さんが上半身を屈め、花に手を伸ばそうとしたのを制し、ピンクに色づいた花を摘む。花壇の傍にひっそりと、それでも群をなして咲いていた。
「レミ君の手を煩わせるまでもなく、自分で取れたんだけどね」
自称「何でもできる完璧な人間」である冴木麗はまたもややれやれ、のポーズを取った後に「こちらに」と手を差し出した。
「どうぞ」
「どうも」
僕の摘み取ったそのさくら草を眺め、満足そうに目を細める。それをどうするのか、と聞くと思いもしない言葉が返ってきた。
「雫の部屋に飾るのさ」
「え、でも、下村さんが持ってきた立派な花があるじゃないですか。だってそれ、花壇横の花ですよね」
案に雑草、というのも気が引けたからそんな言い方をしたのだが、十分に伝わってしまったらしく、ふふふと含み笑いをしてうんちくを語り出した。
「これは雑草なんかじゃないよ。古典園芸植物といわれてね、江戸時代からある珍しい花なんだ。この辺じゃたくさん咲いているけどね。」
ああ、また冴木校長の長話が始まった。これは、僕とルカと勝手に呼んでいるだけで、(校長先生みたいに話しが長いよね、というとてもシンプルな理由だった)実際に呼んだ事はないが、似合いすぎていると思う。
「それに、この花の花言葉はね、」
「やぁやぁレミ君じゃないか!それに冴木も、おはヤッホー」
「…もうお昼だよ、タクト」
ちょうど良い所だったのに、と眉を寄せる。僕にとってはジャストタイミングでしたよ、とタクトさんに目配せする。
正直、計画をすっぽかしたのかとすら思っていた。
「ちょっとレミ君借りたいんだけど」
「貸してあげたいのは山々なんだけどね、生憎今は僕と話すので忙しいんだ。また今度にしてくれるかな。」
「んー、俺も忙しいんだよね。ほら、身バレしちゃって中々レミ君と話す時間も減っちゃって」
「話すだけならここで出来るじゃないか」
「いやだなぁ、悟ってくださいよ。2人きりでイチャイチャしたいってこと!」
全てタクトの計画通り、なのだが冴木がここまで食い下がってくるとは思わなかった。まぁ、そうでないと計画は成功しないらしいのだが。
「冴木はまだ入院すんでしょ?なら後でゆっくりお話すればいいじゃん。電動なんだから、自分で帰れるよね?」
「なっ…!」
いつの間にか冷ややかな言い争いはタクトのキツイ一言で幕を閉じた。
「タクトさん、あれは言い過ぎなんじゃ…」
タクトに手を引かれ、冴木から少し離れた所でコソコソと抗議をしたのだが、あれくらいキツくないと駄目だ、との事。
「きっと冴木も根性で追いかけてくるって。あいつ絶対レミ少年のこと好きだから」
僕はまだタクトの計画がよく理解出来ていなかった。僕を好き、が何故歩けるに繋がるのだろう。それに僕でなくても、ユキやカリンでも良かったんじゃないか。
「わ、ぁ…」
不意に、手を引かれた。
誰だろうと振り返ると、そこに居たのは苦しそうに顔を歪めた冴木だった。
「レミ君」
「さ、冴木さん!?」
「全く、君たちは船から帰ってずっとイチャイチャと…」
相変わらずの口振りで平然としているが、目線は僕より少し上、つまり、座っていない。車椅子じゃ、ない。
驚きタクトの方を見ると、計画通りと言わんばかりにニヤニヤされた。
それを見て、冴木も悟ったのか、まさか、とワナワナ震えていた。
「…タクト、もしかしてここ数日間わざと僕を挑発していたのかな?」
「わざとなんて、とんでもない。俺はレミ君が好きなだけですよ、ぬはは」
「タクト!!もう我慢ならん!」
「ぬははは」
よろよろと、タクトに詰め寄る。
あれ、なんか見た事ある気がする。
妙なデジャヴが何なのか、考える間もなく、病院内だと言うのに「探したじゃねぇか!」と怒声が響いた。
「うるさいぞ、染水。ここをどこだと思ってるんだ」
「うるせぇ!お前こそそんなバカな事やってる暇じゃねぇんだよ!」
いつにも増して気がたっている染水に、「何かあったんですか」と聞くと、彼はにんまりと笑った。
「吉報だ!雫が目を覚ましたぞ!」
その言葉を聞いた冴木は、一目散に雫の病室へと走って行った。僕らもその後を追う。
「それより冴木、走れんのかよ!」
放置されていた車椅子を回収していた染水が、ようやく気づいたように口を開いた。




車椅子をゆっくりと引いていた時より、随分時間がかかった気がする。自分達が数十分前にいた場所、雫の病室の扉の前につき、一呼吸置いて冴木が扉を開いた。
「雫!」
真っ白な病室に、下村と、彼が持ち込んだ花があった。ベットには薄紫の髪。雫は閉じていた瞳をゆっくりと開いた。
「兄、さん」
冴木の瞳にうっすら涙の膜が貼る。よかった、と思う。
冴木が歩けた事も、雫が無事に目覚めた事も。彼女が冴木が立てない事を気に病む事もなくなったのだ。
本当に、タイミングがよすぎるくらいだ。
一旦、彼らだけにしよう、とタクトと部屋を出た。
「本当に、良かったです」
「うんうん。みんなにも教えてやんないとね」
『船』での真相を知った雫が、下村や冴木をどうするのか、僕には想像しかできないが、きっと今に皆が笑える時が来るだろう。
そうして、さっき摘んださくら草を渡しているのだろうか。そういえば、さっきはさくら草の花言葉を聞きはぐってしまった。
まぁ、いいか。
何時でも聞けるのだから。
とりあえず僕とタクトさんの計画は大成功、という事で。