きみは驚かなかったけど




放課後の教室で催されたハロウィンパーティーは、規模こそそう大きくはなかったものの、みんなの(と言うか主に東条さんの)お陰でそれは豪勢なものとなった。強請るまでもなく机の隅々まで敷き詰められた可愛らしいスイーツに、カボチャやコウモリのハロウィンらしいモチーフが散りばめられた教室。それに一部の人…例えば百田くんは狼男なんかに扮していた。他の人もバライティに富んだ仮装をしていて目が飽きない。それも東条さんが作ったものだというのだから、彼女に出来ないことはないのかもしれないと本気で思いかけたのは秘密だ。私は恥ずかしかったからそこまではしなかったけど、夢野さんが予備の帽子を貸してくれたお陰でイベント特有の浮ついた気分は充分楽しむことができた。でもそれ以外はいつもの放課後とあまり変わらない。教室は羽目を外してはしゃぐ、と言うより和気あいあいとした穏やかな雰囲気に包まれていた。途中には、他のクラスの人達が来てお菓子をつまんでいったり、写真を撮ってくれたり。あとは少し覗きに来た人が飾りに引っかかって転び、凄い格好になってしまうハプニングがあったりしたけど…全部含めて、私の青春の一ページになったと思う。一つだけ心残りがあるとすれば、全員揃わなかったことだろうか。来なかったのは妹さんを探すために海外を飛び回っている天海くんと、予定は無いはずなのに不参加を申し出た王馬くん。みんなと過ごした時間がすごく楽しかったのは嘘じゃない。でも心のどこかでずっと、どうして王馬くんが来なかったのかを考えてしまっていたのだ。──だから、こうして一足先に帰ってきてしまったんだけど。


「随分楽しんできたみたいだね!オレが居なかったっていうのにさー。…あ、むしろ居なかったからかな?」

「ひ、人聞きの悪いこと言わないでよ…。ハロウィンパーティー行かないって言ったのは王馬くんでしょ?」


扉に差し込んだ鍵が空回りした時から何となく予想はできていたが、案の定私の部屋には王馬くんが居た。さも自分がこの部屋の主だと言いたげな我が物顔でベッドに腰掛け、にっこりと笑い掛けてくる。咎めるような口ぶりをするくせに、後ろ手に鍵を閉めた私の足は真っ直ぐそっちへ向かっているのだから敵わない。教科書が入った鞄を適当に放り投げて彼の隣に勢いよく座ると、彼の顎が肩に乗った。


「そんなこと言うなら来ればよかったのに…ていうか今日一日ずっといつも通りだったね。ハロウィン、嫌いなの?」

「んー、嫌いじゃないよ。ただ定番のイベントに普通に乗るなんてつまんないじゃん」


いかにも天邪鬼な王馬くんらしい言葉に苦笑いが零れる。首を擽る髪を撫でようと手を持ち上げた時、ポケットに赤松さんと一緒に作ったお菓子を入れていたことを思い出した。取り出してみると、透明な袋に小さなクッキーが三枚。封を開けて一つを摘んで彼の前に持っていくと、なんでもないように食べてくれる。恋人という関係性では当たり前で小さなことなのに、それが不思議なくらい嬉しく感じた。間を開けずにもう一つ、自然に緩んでしまった自分の口に放り込む。…まあ、それなりには美味しい。お菓子作りに慣れていない二人で作ったにしては上出来だろう。「それにさ」しばらく黙っていた王馬くんがそう切り出した。


「イタズラが合法なのもセンスないよねー、他人の許しを得ずにっていうが醍醐味なのに」

「なんか…色々思うところがあるんだね。王馬くんってそういうの関係なく本能のままに動いてるのかと思ってた」

「えー、そんなこと思ってたの?オレは悪の総統だよ?苗字ちゃんみたいにいつも平和ボケしてる訳ないじゃん!」

「!?唐突にバカにされた…!」


たしかに、悪の総統なんてものを務めている(?)彼よりは平和ボケしているかもしれないけど…突然の罵倒にむくれる私の頬を彼が突く。愉しそうに笑うその顔を見て何も言えなくなった私はせめてもの抵抗に最後のクッキーを一口で食べ切った。そんなことで彼が悔しがるわけもないのに。咀嚼しながら子供っぽいことをしたなと少し恥ずかしくなった。どうかこの思いが王馬くんにバレていませんように。他人をよく見ている彼の前では、そんな願いも虚しく散りそうだけど。
そんな時、不意に肩の重みがなくなる。からかわれるのかと一瞬身構えるも、王馬くんにそんな素振りはなく、ただいつも通り飄々としていた。


「ねーねー、苗字ちゃん」

「なに?…あ、喉乾いた?」

「全然違うよ、そうじゃなくてさー」


そうかと思ったのに、と反射的に浮かした腰を再び落とす。それじゃあ、なんで私を呼んだのだろう。小首を傾げながら彼を見つめると、その口角が意地悪くつり上がるのが見えた。「…トリックオアトリート、苗字ちゃん!」形のいい唇から発された予想外の言葉に目を白黒させることしかできない。──これは、まずい気がする。


「え、…えっ!?な、なんで?さっきつまんないって言ってたじゃん」

「にしし、あれは嘘だよー!オレが嘘つきだって事忘れちゃった?そんな簡単に信じちゃダメだよ」


膝立ちになった王馬くんが背後から覆い被さるように私の身体を抱きしめた。痛くはないけど確実に込められている力のせいで、立ち上がって逃げるようなことはできそうにない。冷や汗が背中を伝うのがわかった。わざわざパーティーにも出席せずにこんな嘘をつくなんて、王馬くんは一体何を考えているのだろうか。全く分からないのが余計に私の混乱を招いた。


「で?ほら、お菓子があるなら今ここで出しなよ。早く早くー」

「そんなこと急に言われても…あ、待って、カバン!カバンにはあるよ!」

「残念だけど、『今ここで』だからダメだよ。手があとちょっとでも長かったら良かったのにね!」


耳元で囁かれるその声はそれはそれは楽しそうで、いっそ恨めしい。回された腕に精一杯抗って前屈みになってみても、指先はカバンにギリギリ届かなかった。あと数センチなのに!はあ、と大きな溜め息を吐いて身体を起こし、そのまま彼にもたれ掛かる。私の完敗だ。何もかもわざとでも、そうでなくても、少なくとも今の私にできることはもう無いのだから。


「…全部分かっててやってたの?」

「にしし…さぁ、どうだろうね」


相変わらず読めない王馬くんだけど、私をおもちゃにして遊んでいることくらいはわかる。そして自分がそれをほんの少し嬉しいと感じてしまっていることも。惚れた弱み、と言うやつだろうか。怒ることも拒否することもできないのが悔しくて黙り込んだ。それすらも見透かして弄ぶように、私の右の手の甲を彼の白い指が滑る。


「ま、苗字ちゃんはどうせパーティーの最中からずーっとオレのことで頭がいっぱいだったんだし、構ってもらえて嬉しいでしょ?」

「そ、そんなことは……」

「ないって言わないのがバカ正直っていうか…ホント、つまらなくないよね」


甘さを孕んだその声が、決して広くはない私の部屋に響いた。粟立つ肌は気持ち悪さこそ伴わなかったけど、心拍数はとんでもなく上がっていることだろう。身体を起こした王馬くんが左手で私の顎を持ち上げる。影を落としながら近付いてくる整った顔に反射的に目を閉じた。…でも、しばらく待ってみても何かが触れる感覚は無い。恐る恐る瞼を上げると、私を見つめる歪んだ瞳と目が合った。そこでまたからかわれたことに気付いて顔を背けようとしても、添えられた手のせいでそれもできない。怪しく光る紫から目を逸らすことも。「苗字ちゃん」──あ、たべられる。頭を過ぎった時にはもう遅かった。小さい子を窘めるような声が、脳みそどころか私という人間の頭から爪の先まで溶かしてしまいそうだ。乱暴に奪うのかと思えば優しく丁寧におなじものを重ねられて、意味もなく涙が溢れそうになる。王馬くんがこうだから、私は彼を好きでいることを辞められない。知りたいと思うことを諦められない。彼が私を好きでいてくれていることだけは、痛いほどに知っているのだ。おうまくん、と零れ落ちた私の声は自分のものじゃないみたいで、なに?とかえってくる声もまるで別人のようだった。


「好きだよ、私、王馬くんのこと」

「…知ってるよ。キミがオレのこと世界一大好きだって事くらい、とっくの昔にさ」


ばかみたいに可愛いイタズラと、嘘。そう、嘘なのだ。きみは、私がどれだけきみの事が好きなのか知らないはずだから。未だ触れ合って伝染された熱に浮かされたまま、ゆっくりと振り向いて彼を見た。そのきらきらと輝く瞳も、真っ白な肌も、男の子らしい掌も。全部全部、好きだ。触れたい思いだけが先走りそうになるのをぐっと堪える。


「ねぇ、私もイタズラしてもいい?」


そのセリフはさすがに予想外だったのか、きょとんとした顔で私を見つめて数秒。あっという間に過ぎる時間のはずなのに、今だけは酷く長く感じた。彼の二度の瞬きが鮮明に見える。男の子なのに睫毛、長いなぁ。ぼんやりとする私に、王馬くんはいつも通りに笑って言った。


「…別にいいよ!苗字ちゃんにできるならね」


好きな気持ちと、舐められている悔しさと、それにすら感じてしまう愛おしさのせいで一瞬で胸が苦しくなる。私がきみをどれだけ好きかなんて知らないくせに、私のことを見透かしたような言葉を選ぶなんて狡い。それは才能のせいなのか、彼が彼だからなのか。分からないけど、それはどっちでも良い。だから、ひとまず私はその気持ちの全部を込めて彼を思い切り抱き締めることにした。…驚いてくれるかは、十数秒後の私だけが知っているんだろう。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -