素敵なものだけ頂戴




初めて自分を否定された。初めて、初めてだったのだ。わたしの『可愛い』が否定されるなんてこと!夜長さんの何気ない一言に激昂したわたしは、衝動のままに食堂を飛び出した。みんなの視線を背に受けて、制止の言葉も振り払いながらがむしゃらに走り、柔らかな風が吹く中庭のベンチに膝を抱えて座り込む。否定されたことのショックで泣きそうだった。でも泣いたらだめだ。お化粧が崩れちゃうし、何より泣き顔なんて可愛くない。わたしは常に可愛い女の子の偶像そのものなのだから。そうでなくちゃいけないのだから。自分の理想のために。マザーグースを、わたしは裏切れないのだ。久しぶりに顔を出した刺々しさに心が痛い。自分のもののはずなのに、まるで他人のもののようだった。
膝小僧を覆い隠す長めのスカートに顔をうずめ、きつく目を閉じて奥歯を噛み締めた。…夜長さんに謝らないと、だめかな。でもやだな。謝ったらそれは、嘘になっちゃうから。「ねぇ」突然かけられた声に振り向くと、白。ゆっくり視線を上げると、王馬くんが居た。「…なに?」警戒心を隠さずに問うと、彼は人当たりのよさそうな笑みを浮かべた。わたしはそれが少し、怖かった。いつもなら、だれかに笑顔を向けられたら安心するのに、こんな状況だからかな。腕に力を込めて、膝を抱え直す。


「なんでアンジーちゃんに怒ったの?」

「…王馬くんには、関係ないよ」

「えー!みんな仲良くって方向に決まったんじゃないの?だったらオレも協力しようと思ってわざわざ追ってきたのに…そ、そんな、冷たくされたら…」


「うわああああああん!!」大声で泣き出す王馬くんが騒々しくて、反射的に耳を塞いだ。”みんな”という分からないだらけの人達の中でも、おそらく一番分からない人だとは思っていたけれど、ここまでとは思わなかった。きゅっと目を瞑って耐えていると、暫くしてその手を無理やり引き剥がされる。犯人はもちろん、隣でケロッとした顔をしている王馬くん。嘘泣きの時間は終わったみたいだ。その変わりようはもう、わたしの方が惚けてしまうくらいだった。彼はまるで何事もなかったみたいに続ける。


「「自分は好きじゃない」って言われたことがそんなにショックだったの?でもそれって、アンジーちゃんが服に機能性を求めてるからでしょ?」

「わたしにだってそれくらい分かってるよ、でも…」


わたしのこと否定する人なんて、今まで居なかったから。どうしていいか分からなかった。ぽつりぽつりと呟くと、王馬くんは面食らったような顔をした。そんな他人の顔が見たくなくて、俯いた。…でも、仕方ないと思う。わたしは今までずっと、賞賛しか受けていなかった。わたしの周りにはわたしのことが好きで、わたしを全て肯定する人しかいなかった。だってわたしは天才だから。才能があるから。みんながみんなそれを理解していたから。普通の人なら、既に光り輝いている宝石を傷付けようなんて思わないでしょ?それに恩恵を受けているなら、尚更。だから──、
そこまで話したところで、王馬くんはわざとらしく欠伸を零した。真面目に話してたのに!顔を上げ、咎めるようにじとりと見つめると、彼は「ゴメンゴメン!あんまりにもつまらない話だったからさー」と満面の笑みで言ってのける。「でも、」と切り出した王馬くんは打って変わって真剣な表情でわたしをまっすぐ見据えた。さっきまでの人とは別人みたいで、目が離せない。少し腰を折った王馬くんの顔が近付いて、やがて吐息が感じられるほどの距離に落ち着いた。


「そんな風に生きててつまらなくないの?」


囁きと紫の虹彩がわたしの何かを掴んだ。まあるい瞳の中に映る自分をじっと見ている。…もしかしたら、その瞬間に絆されてしまったのかもしれない。変な人、分からない人、どうでもいい人。その括りから飛び出してこの心を掴んだ、奇特な真っ白の彼。すこし迷いながらも、わたしは答える。つまらないという表現がすとん、と腑に落ちた。


「…つまらない、のかも」


途端、王馬くんの紫が歪んで弧を描いた。満足気な顔は幼い少年のようで可愛らしい。もちろん、わたしの方が可愛いけど。それでもキラキラと輝いて見えて、ひどく魅力的だった。「わたし、」無意識に口から零れた言葉は弾んでいる。満足いく仕事ができた時、その完成を夢見る時の、期待の籠った声色。


「わたし、王馬くんと友達になりたい。そうすれば、つまらなくなくなるでしょ?」

「たはー!オレは手下になりなよって言うつもりだったんだけどなー。…嘘つきなオレと友達になりたいなんて、変わってるね?」

「嘘つきだからなりたいの。きみの言う酷いことは全部、嘘だと思えばいいんだもん」


抱えていた膝を下ろし、空いた手でその服の裾を掴む。見上げれば、彼は目を見開いていた。わたしの発言に少なからず驚いたみたいで優越感を感じる。いつも余裕そうなその顔を崩せたことは気分が良い。「王馬くんは嘘つき、なんでしょ?」なんて、すこし挑発するように告げると、王馬くんは至極楽しそうに笑う。


「…しょうがないなー、どうしてもって言うならいいよ!」


服と同じくらい真っ白な掌が、両頬を覆う。自分より低い、他人の体温がほんの少しだけ心地良い。もしかしたらわたしは、人肌に飢えて気が立っていたのかもしれない、と思った。だから夜長さんの言葉にもあんなに反応しちゃったのかなあ。いや、それは関係ないか。わたしはいつもわたしだもんね。彼の手を弄ぶように、じんわりと染み込む温度に擦り寄った。


「その代わり、キミが信じるのもオレだけだからね!」

「いいよ。ねぇ、ちゃんと仲良くしてね?」

「にしし…もちろんだよ!嘘だけどね!」


その言葉を聞いて、わたしはにっこり笑う。そうして彼の嘘だという言葉を嘘にした。この先もずっと、そうだ。こんなおかしな世界でできたお友達が大嘘つきだなんて絶望的だけど、なりふり構ってもいられない。それにマザーグースをなぞるわたしも、大嘘つきなんだから。類は友を呼んじゃうのかも。
それからずっと、わたしは王馬くんの傍にいた。嘘つきな彼にすっかり気を許してしまうほど長く。でも、きみの声をもう忘れてしまいそうなくらい短くて、昔の話だ。

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