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(…何で、私ここにいるんだっけ)
冷たい風が痛いくらいに頬に当たり、白い息がゆっくりと空に上っていく。道路の真ん中を歩いていた足を止めて、白い息の消える先を見た。澄んだ空には星が瞬いている。彼氏を思い出した。涙が溢れて、冷たい頬を伝う。

ねえ、別れようか
どうして、…他に好きな人ができたの?
…ごめん
そう、わかった…お幸せに

私の問いかけに彼が答えることはなかった。私は彼の部屋においてあった歯ブラシから、何から何までを鞄に詰めて、彼の部屋を飛び出した。彼は追いかけてはこなかった。
その鞄はあまりにも重くて、今までの思い出と一緒に全部投げ出したくなって、大きなマンションのゴミ置き場に投げ込んだ。終電はまだ出ていない。

駆け込んだ満員電車の中、ポケットの携帯が震えた。彼からだった。メールを見た瞬間に、私は電車から降りた。彼の最後のメールは、「今まで本当にありがとう」の一行だった。


(…そう、鞄だ)
道路には女の人がうずくまっていた。長い三つ編みが地面についてしまっている。酔っ払いだろうか。
「…大丈夫ですか?風邪、ひいちゃいますよ」
「…いいんです…もう、どうなっても」
涙声の女性は俯いたままそう言った。どうなってもいいと言うのならこのままにしておこう。変に関係を持って巻き込まれるのはごめんだ。

(…いいや、探そ)
ゴミ置き場に積み重なった袋をかき分けて、鞄を探した。女性はようやく顔を上げて、話しかけてきた。
「…何、探してるんですか?」
「…鞄!ついさっきここに捨てたんだけどなあ」
「大事なものなんですか?」
「大事っていうか…」
私は名前も知らない女の人に、元彼のことを話した。急に別れようと言われたこと、理由は他に好きな人ができたからということ。鞄は元彼との思い出が詰まっていること。それと、最後のメール。

「もしかして彼の家、とか」
「だったらもう無理だなぁ…電話とかもできないし」
「電話くらいいいじゃないですか!」

彼女の熱意に押されて彼氏(元)の携帯に電話をかけた。長い長いコール。
『…はい…っ?』
「もしもし?…私だけど。何でそんなに息切れてんのよ」
『……え?』
「え?じゃないわよ。私の鞄…」
『…あんた、誰?』
「は?」
切れた。と同時に、会話を聞いていた彼女も怒り出した。
「なんて人ですか!」
「意味わかんない!もっかいかけてやる!」
「どんどんいきましょう!どんどん!」
何度かけても、彼は出なかった。無機質なコール音が静かな道路に鳴り響く。彼女がぽつりぽつりと話し始めた。
私も、浮気されたかもしれないんです。女物の服とか、靴下とかあって。彼に聞いても何にも答えてくれない。つき合ってから三年は経つし、知り合ってから十年も経つのに。だからつい、怒って彼の家を飛び出してしまったんです。そしたら、終電、逃しちゃいました。

「…どんなものが、置いてあったの?」
「え…?…例えば、ピアスとか、ハートのシールがついた、」
「ハートのシールがついた歯ブラシ」
「え、あの」
「星のピアス、お揃いで買ったマグカップ、リョーマが選んでくれたパジャマ、替えのストッキングと下着、うさぎのお箸」
「え、…えっ?」
「そう、全部、大事に持っててくれたの」


「竜崎!」
「…リョーマくん、走ってきたの?」
「俺の自転車乗っていったの竜崎だろ…人の話ぐらい、ちゃんと聞きなよ。心配するじゃん」
桜乃の前にはもう誰もいなかった。温かい涙が頬を伝って、地面に落ちた。自転車の後ろに乗って目を瞑ると、鮮明にあの表情が浮かんだ。
「ここなんだ」
「…うん」
「今度、お花持ってこよっか」
「そうだね。…どんな顔だった?」
「うん…笑ってたよ」



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夜のおわり





なかむらあすみこさんのパロディです。

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