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「何それ? 何かの冗談?」


ご丁寧に指まで差しながら、イルミは私を見て早々にそう言い放った。厳密に言えば彼が見て指差しているのは下腹部で、失礼にも"それ"と呼ばれてしまった私のお腹はぽっこりと膨らんでいた。肥満と呼称するには些か無理がある出っ張り。さながら妊婦の様だ、と言うよりまるきり妊婦だ。服を着込んでも主張してしまうその膨らみは、あのイルミが玄関を開けた瞬間に固まるぐらいの明らかな異常である。あの時は漫画で良く見かけるピシッという登場人物が精神的(若しくは物理的)に固まる擬音が聞こえて来る様だった。
さて、どうやって言い訳をしようか。太っちゃったテヘペロ、と精一杯可愛らしく言い逃れしてみた所で、「は? そんな訳ないでしょ」と軽く一蹴されてしまうのは目に見えている。他人の目を誤魔化せ無い程出っ張った腹をそんな簡単に嘘で隠せる訳がなかった。チクチクと痛い所を針で突く様に本人が納得するまで質問攻めにされるのが落ちだから、可能なら収拾がつくまで会いたくなかったのに、何故アポ無しでやって来ているのか。そういえば事前に連絡なんて貰った事が無かった。何故だろうとても頭が痛くなってきた。


「誰の子なの? 知らなかったよ、ナマエが浮気してたなんて」

「浮気なんかしてないんだけど」

「…………単為生殖?」

「アンタは私を何だと思ってるの」

「え、違うの? もしかしてオレの子?」

「誰の子でもないよ」


言葉の意味が解せないのか、イルミは珍しく訝る様に小首を傾げ、どういう事かと目で答えを促してくる。
やはり白状しなくては駄目なのですか。うん。いや、でも別に大した事じゃないし。いいから早くして。
無言の応酬の末どうあっても話さなければならない状況に内心落胆していると、「玄関で立ち話もなんだから、取り敢えず中に入れてよ」と言いながらイルミは靴を脱ぎ出していた。私に選択権が無いのは相変わずの事ながら、今回は話を聞くまで帰らない魂胆らしい。敵を相手取るかの如く逃げられ無い状況に追い詰めてくるのだから恐ろしい男である。
お腹が辛いのでリビングのソファーに座ると、イルミも同じ様にテーブルを挟んだ斜向かいにスラリと長い脚を組んで掛けた。はぁ、と一つ嘆息し視線を下に落としてみる。やはり見た目はまんま妊婦のそれであるが、そもそもの過程が妊娠とは全く異なるのである。


発端は一週間前、情報屋で生計を立てている私は何とかして標的からとある機密情報を抜き取らねばならならず、なんやかんやで標的の護衛に念を掛けられた事による。相手の念能力は願いを具現化出来るという何とも便利なものだった。けれどやはり人間の限界を超えない範囲での身体強化や武器の具現しか出来ず、加えて時間が経つと消えてしまう(これが制約なのだろうか)。事象も具現化出来ればかなり驚異となり得たであろうその能力は、便利だと感心するだけで特段凄いという訳ではなく然程苦労せずに倒した筈だった。しかし辛うじて虫の息だった敵の今際の際、念を掛けられた。奴の能力は他人の願いすらも具現化させられるらしかった。


「ふーん。て事は、ナマエは妊娠したかったんだ?」


思う所があるのかなにも言わずに話を聴いていただけだったイルミが、飛んでもない事を言ってくれた。そんなにあっさりと簡単に纏めないでくれ。要約するとそうなってしまうだろうから言いたくなかったのだ。
敵が何を考えてこの念を掛けたのかその真意は計れないが、これが私の願いであるのは紛れもない事実。プロセスは違えど念を切欠に生じた私が原因の想像妊娠である。これが冗談だと笑えればどれだけ良かっただろう。
心中荒れている私を尻目にイルミはさも感心した様に顎に手を添え、しげしげと膨らんだお腹をその真っ黒な瞳で眺めた。


「よく出来てるね。ナマエに浮気する度胸なんてないだろうから、一瞬本当にオレが妊娠させたのかと思った」


淡々と述べる辺り全く動じていないのだと思っていたが、「でも俺としては珍しく焦った」と語るところを見ると彼なりに驚いていたらしい。そりゃ『玄関開けたら2分で認知』みたいな状況だったのだからいくら鉄面皮と言えども驚くのも無理は無い。
私達ははなから結婚が目的で付き合っている訳ではなく、至ってドライな関係にある。愛が無いと言えば嘘になるが、結婚は全く別の話になる訳で。家柄も良くない、仕事上人を殺す事がままあっても大して強くもない毒の耐性もない、無い無い尽くしのぽっと出の情報屋が、暗殺の名門ゾルディック家の人間と結婚なんて到底出来るものではなく。イルミもそれを理解しているのか行為の際には真面目に避妊をしていたし、私もそれに倣って律儀に薬を飲んだりしていた。妊娠なんて、する筈もなかった。


「本当に良かったよ、妊娠じゃなくて」

「……もしこれが妊娠だったら、やっぱり殺すの?」

「うん、殺すよ。ナマエが堕ろさずに一人でもこの子を育てる、とか変な事言い出したらの話だけど。面倒事は消しておくのが家の方針だし」

「………………」


イルミは家族を軸に動いている。私がどう足掻いたってその家族にはなれない。例え私が子供を孕んだとしてもその事実は変わらないだろう。それをまざまざと思い知らされ、余計な薄ら寒さを感じてしまった。
分かっていたのにこんな事になってしまったのは、少なからず自分が馬鹿な希望を捨て切れずにいたからだ。自分が情けない。図らずも敵が私に念を掛けた真意を、知ってしまった気がした。叶う事のない願いを擬似的に体験し、現実との差に打ちひしがれれば良いのだ、と。


「悪阻とかもあったりするの?」

「うん、気持ち悪くてご飯食べられない」

「へぇ、そんな事まで再現されるんだ。触らせてよ」

「嫌。何も入ってないのに、触る意味なんてないでしょ」


生理がこなかったり、悪阻があったり、限りなく妊娠に近くともやはりそれは偽物なのだ。まやかしは時が来れば消えてしまう。中に入っているのは液体か肉塊か、いずれは流れ出てしまう。イルミに優しくされればされる程、嬉しい反面、腹に何か仄暗い虚無が凝る気がした。
拒絶でもって近付いてくるイルミを制するも、私の横を陣取り胎動なんて聞こえる筈もないお腹に耳を充てる。


「想像するくらいなら、誰も文句は言わないだろ?」


イルミはそう言って愛おしげに、まやかしで膨らんだ腹をスルリと撫でた。

20130611
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