数日、あと数日で私はあの“和歌”を読み、この家を去る。
最近になって、世継ぎ問題が大きくなってきた。
なぜ、子どもが生まれないのか。
早く世継ぎをお作りください。
たくさんの人たちがそう言ってる。
でも、私は知ってるの。
その度に鯉伴が悔しそうに唇を噛んで、私を抱きしめること。
それが哀しくて、けれど、愛おしい。
鯉伴は私に子どもの話を絶対にしない。
それどころか、決して私の耳には入らないようにしてくれてる。
まあ、知ってしまったけど。
「なァ、名前。」
『?』
鯉伴の腕の中、穏やかな時を過ごす。
例のごとく抵抗したら、ものすごい笑顔で「ヤるか?」なんて言われたから、妥協しました。
……別にイヤじゃないけど、恥ずかしいんだもん。
「子が出来たらなんて名前にするか、考えてあるか?」
その言葉に鯉伴を見る。
鯉伴は、優しく穏やかに微笑んでいた。
『…鯉伴は、あるの?』
「ああ。」
次に鯉伴が言った言葉に目を開く。
「男だったらリクオだ。」
…あぁ。鯉伴は私との子にその名前をくれるんだ。
あの子の、名前を。
私が望んでも、絶対に授からない、愛おしい子。
嬉しい。嬉しい…!
「名前…?おめぇ、」
『なら、なら、鯉伴。』
鯉伴の腕を掴み、縋るように言葉を紡ぐ。
『もしも、もしも、女の子だったなら、乙女、と。山吹乙女と名付けて?』
私が奪ってしまった名前。
もう、呼ばれることはない名前。
だから、せめて、せめて彼を愛した山吹乙女が彼に名前を呼んでもらえるように。
彼は女の子の子はいなかった。
けれど、彼の中に“山吹乙女”の名前が存在するなら、
それはとても、
「……ああ。山吹乙女、か。わかんねぇけど、懐かしい名前だな…」
幸せなこと。
鯉伴から、その名前が紡がれた瞬間、顔が綻ぶのがわかった。
数日後、私は消えた。
“七重八重 花は咲けども山吹の
みのひとつだになきぞかなしき ”
山吹乙女と同じように、私は和歌と山吹を一房置いて。
これから何百年も生きる、私の最愛の記憶。
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bkm