「…どうしてわたし、なのかな」

思っていた通りの、女性だった。箸の持ち方や扱い方、どんなふうに飯を食うのか、鬱陶しそうに髪を耳にかける仕種、好物を食べたときの表情の和らぎさえ。この人を今日食事に誘って本当に良かったと、柄にも無くそんなことを頭の端っこで考えた。

「和食、嫌い?」

おれの問い掛けに、かたりと箸置の上に箸を置いてから彼女はゆっくりと顔を上げる。探るような視線を向けられて心臓が急にむず痒くなった。んな顔されても困る。

彼女は先輩だ。勤めている会社の、五つ離れたおれの上司。一か八かの賭けだった。食事に誘って彼女がノーと答えたならそれまで、イエスならおれは自分のしたいようにする。普段業務上の事でしか話さないような彼女を誘ったのは、おれがただ単に話してみたいと思ったから。あんたのその殻を、こわしてやりたいと思ったから。

「きらいじゃないよ、むしろ好き」
「じゃあ、いいじゃないすか」
「わたしは理由を聞いてるの」
「なんで、誘ったか?」
「そう、それ」

淡々と職務をこなす彼女にどこか不自然さを感じたのは、つい最近のことじゃない。もうずっと、ずっと前から思っていたこと。ああこの人、男が苦手なんだな。きっとおれの勘は外れてない。先程からずっと居心地が悪そうにしているのも、あまり出された食事に箸を付けていないのも、全部わかってる。普通に話しているつもりなのだろうか、微かな唇の震えを、おれは見逃したりしない。

「理由聞いて、どうするんすか」
「…え」
「おれはあんたと話したいと思ったから誘ったんですよ。…それと、いい加減その口調やめてもらえますか」
「く、ちょう?」
「疑ってる、みてえな口調」
「うそ、…そんな話し方してたかな」
「思いっ切り」
「ご、ごめん」
「…まあ、いいけど」

無自覚、無意識か。申し訳なさそうに眉を下げる彼女に膳を進めるよう促す。彼女は少し迷ってから、再び箸を手に持った。正直こんなに簡単に付いて来てくれるとは思ってなかった。強引に、とまではいかなくとも、一筋縄ではいかないと腹をくくっていたのに。

「おれのことも、こわい?」

挑むような目つきをしてそう言えば、彼女ははっとして表情を曇らせ、瞳の奥を悲しげに歪ませた。それから少しだけ唇を噛んだ。図星だったんだ、そんなことは顔を見れば一目瞭然なのだけれど。しらばっくれればいいのに、馬鹿正直な女。嘘を付けない性分なのだろうか、まあ別に、悪かねえけど。

「これからもこんなふうに、時々会って欲しい」
「…あ、の」
「駄目、…すか」

彼女は飾らない長い睫毛をきれいに伏せて、しばらく俯いていた。いいよ、おれはあんたのことならずっと待っていられるから。そしてそっと顔を上げ、すうっとおれの目を真っ直ぐに見つめた。どくり、鈍く心臓が動く。

「奈良くんと会うのは、いやじゃないよ」
「なら、」
「でも駄目、会えない」
「そんな理不尽な理由じゃ納得できねえ、」
「…駄目なの、わたしが駄目なの」

あんたの過去に嫉妬していると言ったら彼女は笑うのか、それともさっきみたいにただ困った表情をするだけか。なんだよそれ、会えないって、駄目ってなんだよ。じゃあなんでそんな泣きそうな顔すんだ、言ってることと表情が噛み合ってねえよ。

「あんたが男と付き合わない理由、教えてください」
「…な、なに、それ」
「ちゃんとあるんでしょ、おれに話してみたっていいんじゃないすか」
「……」

相変わらず泣きそうな顔をしたまま、彼女は奈良くんはやさしいね、そう消え入りそうなか細い声でつぶやいた。もう一度、持っていた箸を置く仕種。ちいさく息をはいてから、彼女は何かを決め込んだ子供のような目をした。なあ、断るなら最初から断れば良かっただろう。こんなとこまでのこのこ付いて来ちまって、あんたほんと狡いよ。男は馬鹿なんだから期待すんだよ、そんな表情をするのも、本当は止めて欲しい。

「むかし、付き合ってた男にね」
「うん」
「う、浮気、されちゃって…」
「…うん」
「それから駄目になっちゃった。違う人と一緒にいても疑っちゃうの、」
「それが、理由すか」
「…うん。奈良くん、きっとうんざりするよ。わたし、疑い深くっていやな女だから」

へにゃりと笑ってみせた彼女が妙に痛々しくておれは思わず目をそらした。作り笑いなんてするな、声の震えを隠そうとするな。わかってるよ、理解の上であんたに言い寄ってるんだよ。歯痒くて焦れったくて、今すぐ抱きしめたいと思うのにできなくて、おれは手を伸ばし彼女の手首を握った。細くてしろい手首を、確かめるように握った。彼女は目をまるくする。奈良くん、名前を呼ばれる。離さないよ、絶対。

「疑い深くていいよ」
「…え」
「いやな女でいいから、駄目なんて言うな」
「な、らく、」
「あんたがおれを疑うなら、その度おれがあんたに嫌っていうほどわからせてやるから」

みっともないけれど、格好なんてつかないけれど、あんたに逃げられるくらいならおれは平気だから。だから首を縦に振って。彼女の揺れる瞳から目が離せない。触れている肌が、熱い。ずっと好きだったんだ、ここで引いたりなんかしたら男じゃない。あからさまに動揺する彼女はやっぱり泣きそうな顔ででも、と言いかけ口をつぐんだ。

「おれが忘れさせる」
「…あ、」

手首を握っていた手を滑らせて、無防備な指に絡ませる。吐息が漏れる。ぎゅうと握れば、彼女の頬にぽろりと涙がこぼれ落ちた。言葉を失うほど、きれいに泣く人だと、そう思った。小指をきゅっと握り返されて、どこか掻き乱されるようだった。瞳いっぱいに涙を溜める彼女に堪らなくなって、おれは手を握る力をつよくする他なかった。

「浮気、しない?」
「しないよ」
「ほ、んとうに…?」
「本当」

だからしんじて欲しいんだ。

「わすれ、させてね」
「…うん」




痛がりな二人のための揺りかご

title クロエ