「出来たよ。」

出来上がったふわふわたまごのオムライスを彼の前へ。時刻は昼の11時過ぎ。少し破れてしまったたまごは気付かれないよう後ろ側へ隠して、適当にトマトケチャップをかけた。彼は顔を上げ、わたしと一瞬目を合わせたけれど、すぐにまつげを伏せ視線をそらす。彼の隣、ひとり分空いていたソファに腰を下ろして無理やり右手にスプーンを握らせた。ねえはやく食べて。冷めてしまったら美味しくないよ。

「…いただきます。」
「はい。どうぞ。」

彼の部屋同様、冷蔵庫はきちんと整理されていて、勝手にキッチンを借り使ってもあまり問題無さそうな食材を選んでオムライスを作った。好き嫌いを聞きもしなかったけれど、きっと好きだと思った。良く食べる彼が好きだった。一緒に食事に行っても彼が大きな口をあけて美味しそうに何かを平らげていくのをみているのがいつも、好きだった。

「美味い。」
「ふふ。よかった。」
「…あんたはいいのか。」
「お腹すいてないの。」

あっという間に空にしてくれた白い皿を下げようと、伸ばした腕は簡単に彼につかまって、それから切れ長の、けれどやさしくゆらゆらと揺れるふたつの瞳から目が離せなくなった。逃げてばかりいた視線が初めて交わる。彼がそっと距離をつめたので、ソファが中心に沈むのに合わせて自然に身体を寄せた。かるく唇に唇で触れても、もう彼は下を向かなかった。頭の後ろに手のひらを滑らせ、ゆっくりと髪を梳かれると心地良くて吐息がもれた。

「好きだった…?」
「ん…なに、が…」
「…オムライス、好きだったかなって」
「あー…、うん。好き。」

良かった。言葉は彼に食べられて、そのまま、また唇を食むように唇で触れた。ほんのりしょっぱいケチャップの味がしてそれがなんだか可笑しくて、思いきり甘えたくなってしまう。とびきり切ない顔をしている彼のすべすべの頬を手のひらで包み込み、彼の名前を呼んだ。

「食満くん」

大好きで、愛しくて、気持ちがあふれて、彼の背中に腕をまわしてぎゅうと抱きしめた。間違いでもいい。今だけでいい。なんだっていいの。お酒に酔っていたって、気の迷いだって、言い訳されたっていい。終電を逃して我が儘を言うわたしを、タクシーへ押し込まずに部屋へ迎え入れてくれたのは、なにを考えていたからなの。酔っ払ったふりも、気が付いていたのかな。わたしの愚痴や、惚気や、我が儘をいつも静かに聞いてくれていた。黙ってビールをあおってばかりいても、うん、うんって、穏やかに頷いてくれていた。もうとっくにね、愛想を尽かされていると思っていたんだよ。

「ずいぶん違うんだな。」
「…なにが?」
「こんな、ふうに…、その、」
「なあに。」
「………」
「いいでしょ。二人なんだから。」

甘えてばかりのわたしは受け入れ難いかな。しっかりしていて、弱音なんてはかない、万人受けする清楚なブラウスとタイトスカート、ひっつめ髪で身を固めたいつものわたしに、もう少ししたら戻るから。ずうっと難しい表情をしている。しかめつらばかりの彼に終わりの気配を感じて、そっと身体を離した。

「ごめんね。」
「えっ。」
「帰る。」

ソファから立ち上がると咄嗟に手首を掴まれたけれど、彼の手の甲に手のひらを重ねそっとほどかせる。ジャケットを羽織って適当に髪を結んだ。うすくひらかれた唇がわたしの名前を呼ぶ。

「待てって。どうしたんだよ急に。」
「無理しなくていいから。もう帰るから。」
「俺がいつ何を無理してたって言うんです。」
「………」

玄関をふさがれるとどうしようもなかった。今度下を向いてしまったのはわたしのほうで、きっと彼は今とてもこわい顔をしているから、目も合わせられない。我儘なわたしに付き合ってくれたじゃない。帰りたくないと駄々っ子のように振る舞うわたしをここへ招き入れてくれた。迷惑をかけている自覚はあったし、わたしが上司だから断れなかったのもわかっていたつもり。でも、それでも構わないと思ってしまった。これっきりにするからと、これ以上は望まないからと。

「ふつうに…するから…、」
「だから、なんの…」
「っ、」
「ごめん。どうして泣いてんのかわからんからちゃんと言ってくれ…。」

なんて顔をしてるの。みっともなく泣くわたしに向き合って、それから背中におおきな腕がまわる。ゆっくりと、ためらいがちに。引き寄せられて、そのまま背中にとんとんとやさしい力であやすように触れた。困らせたくなかった。けれど、悩ませてみたくて、気を引きたくて、今だってきっと、理由も言わず彼にそんな顔をさせてしまっている。面倒な女だと置いていかないで。一晩一緒に過ごしてしまったら、もっと好きになってしまうことなんてわかっていた。これっきりなんて、思えるはずがなかった。

「…なんだよ。何も言ってくれねえの…?」

すれた声色に心臓のあたりがいたくなった。背中をさすっていた手のひらが、力強く腰にまわってぎゅうと抱きしめられる。どうして抱きしめるの。どうしてそんなふうに話すの。耳の後ろに頬をくっつけて、彼はゆっくりと息を吐いた。胸がつまって、いたくて、声が出ない。力が入らなくなった手からずるずると鞄が滑り落ち、鈍い音をたてて床に落ちる。

「先輩、」
「う、…」
「なあ、なんか言って…。」

彼がそっと身体を離し、両肩に手を置いて身をかがめる仕草をした。唇をかむわたしを根気強く待ってくれるのなんて、あなたくらいしかいないって、わかってる。ちゃんと、ずっと前から、わかってる。

「帰りたくない…。」
「…いいけど、違う。もっと別のこと。」

仕方ないなって、彼がやさしく微笑んだ。

「食満くんのことが好き…、っ」

好きとそう言葉にした瞬間に唇を彼に塞がれて、もっと涙があふれた。痛いくらいの力で抱きしめられる。掻き抱くみたいに、我慢の糸がきれたみたいに。だめ、あたたかくて、離れたくないよ。このままずっと、ずっと、この腕のあたたかさをわたしだけが知っていたいよ。

「やっと言った。知ってたけど。」
「…気付いてたの。」
「当たり前だろ。気付いてないと思ってたのか。」
「……」
「もうあんたの男の話なんか聞きたくない。管巻くのも良いけど俺の前だけにしろ。言いたいことは言ってくれ。俺ももう我慢しないから。」

子供みたいに歯を見せて笑う彼が、わたしの手を引きリビングへ連れ戻す。涙でぐずぐずの頬もそのままにつられてわたしも微笑んだ。

「コーヒー飲みませんか。」

わたしがミルクも砂糖もいらない、ブラックコーヒーが好きなこと、前の恋人は知らなかった。彼は知っている。わたしの好きなコーヒーのこと。泣いたあとはいつもコーヒーに頼って心を落ち着けること。

「ありがとう。」

あなたと恋人になれたら、こんなにしあわせなんだね。



レースの端っこ
(離さないで、)


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