「リョウスケさん」 「どうした」 「好き」 「…もう寝ろ」 「いやよ、寝ない。リョウスケさんってば、ねえ、どこ行くの」 「煙草だよ」 「この部屋で吸えばいいじゃない」 わたしじゃあなたの痛みはほどけない。彼の孤独も晴らせない。悲しみも諮れない。わかりたいと願うのに、彼はそれをうまくかわしてはぐらかして、わたしにそれをゆるさない。 わたしのほうを振り向きもせずに、彼は部屋を出て行った。ドアの閉まる音が部屋に響く。何も言わないのね、言ってくれないのね。きっとリョウスケさんはわたしのことを、可哀相な女くらいにしか思っていないから。行く宛も頼る人もいない、可哀相な女。一緒のベッドに寝ることも許してはくれないし、抱いてもくれない。だからわたしは、彼の身体に触れることさえも、ためらってしまう。腕を引き、行かないでと言うこともできない。わたしが煙草の匂いが苦手なことも、言っていないのに知っていた。リョウスケさんはこの部屋で絶対に煙草を吸わなかった。わたしの前で一度もその姿を見せたことがなかった。そんな気遣いは要らなかった。煙草の匂いなんてわたし、我慢できる。隣にいてくれたほうがずっといい。寝れないよ、眠れるわけないでしょう。シーツをかぶったまま膝に顔をうずめる。ベッドが冷たくて寂しい。どうして、傍にいてくれないの。 ・・・・・ 「…何を塞いでるんだ」 「そう見えるんだったらそれは、リョウスケさんのせいよ」 「おれのせい、?言い掛かりをつけるのは止してくれないか」 「よくそんなことが言えるね、わかってるくせに」 「わからないな、何の話をしてる」 「リョウスケさんのそういうところが、すごく嫌」 やわらかい微笑みを含むような、わたしを小馬鹿にしたような声音が余計にわたしを苛立たせる。こんな態度しかとれない自分にも嫌気がさした。シャツを取り替えたのね、わたしのためだなんて笑わせないで。煙草くさいシャツを洗うのは結局わたしなんだから。 「…傷付くことを言うな」 「うそつき」 「どうしたんだ、今日はよくしゃべるじゃないか」 あまり笑わない彼の目が、やさしく細められた。右目しか見えないけれど、それだけで十分だと思った。苛立ちも消えてしまうくらい穏やかに、静かに微笑むから。胸がくるしかった。この人が好きだと思うこんな時は、決まってどんな顔をしたらいいかわからなくなる。見透かされているようで、少しだけこわかった。胸がくるしかった。 彼が何を考えているのかわからないのは、ずっと変わらない。わたしのことをどう思っているのかも、本当は全然わからない。リョウスケさんがベッドの端に腰掛け、意味もなく自身の肩に触れた。背中を向けられるのも、嫌いだ。そろそろとシーツからはい出て、リョウスケさんの太股にそっと頭をのせる。止められるかと思ったけれど、彼は何も言わなかった。あたたかい。手を取って頭に触れさせる。頭を撫でてとリョウスケさんを見上げた。ため息すらもいとしかった。 「触っても、怒らないの」 「…おれがいつ怒った」 「じゃあ、触っていいのね」 恐る恐る、喉に触れる。リョウスケさんはうそつきだ。身体に触れると、僅かだけれど眉間をぎゅっとするくせに。だからわたしはこわくなってしまうのに。すう、と人差し指と中指で喉元をなぞってみる。こくりと静かに上下した喉が色っぽくて、かああと顔に熱が集まってくる感覚に思わず手を離した。見られたくなくて両手で顔を覆う。強気な態度をとっておいて赤面するだなんて、わたしらしくない。恥ずかしくて、恥ずかしいと思ってしまう普通の女の子みたいな自分も嫌だった。その時上からくすりと吐息が聞こえて、彼が笑ったのだと知る。わたし今、どんな顔してるの。 「あかいな」 「…っ、や、めて。そうやって、ばかにして」 「そんなことはないよ」 このまま、こうして甘やかされる夢をみていたい。確かめるように一束、また一束と髪をすくう指先。うれしくって彼のお腹に額をくっつけた。びっくりした顔とかもっと見たいなあ、焦ったり、眠かったり、寂しいときの顔、見たいなあ。リョウスケさんのお腹はかたくって気持ち良くなんて全然ないけれど、そんなのちっとも気にならなかった。甘ったるい柔軟剤と、微かな煙草の匂いが鼻先をくすぐる。リョウスケさんからあまい香りなんて似合わなくって少し笑った。本当に似合わない。おっかしい。 「リョウスケさん」 「…ん、」 「お腹へったよお」 「さっきスコーンを食べてたろ、ジャムをたっぷりつけて」 「そんなとこばっかり見てるのね、やなひと」 「そういえばマーマレードジャムがなくなりそうだったな、後で一緒に買いに行こうか」 「わあっ、いいの?」 「いいよ。この間きみがつくったエコバッグを持って行こう」 「…え、知ってたんだ」 「その間おれは放っておかれてたからな」 「ふふふ」 起き上がって傍にあった枕を抱きしめる。普通の女の子みたい。彼の言葉にうれしくなったりするの、こんな気持ちになったりするの、わたしも普通の女の子になれるかな。リョウスケさんといたら、わたしもっと可愛くなれるかなあ。彼がわたしに腕を差し出す。わたしがその腕を取ると、やさしい力で引き寄せられた。顔が見えないよ、リョウスケさん。顔、みたいよう。 「どこにも行くな」 彼が縋りたいのは、わたしじゃない。ぐっと小さく低くなった声にわたしの心臓もぐっとくるしくなった。 「…おまえは、どこにも行くな」 ぎゅうっとつよくなる腕の力に、わたしは全てわかった振りをする。無意識に寂しい彼のそばにいてあげるのは、わたしだけでいい。 たったひとつのきれいな嘘が君を裏切る title ケセラセラ ×
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