オートマチックヘヴンの続き

彼に自覚は無いのだろうけれど、私が私自身を卑下するような言葉をつかうと彼はいつも泣きそうな顔をした。自分に引け目を感じるのはいつだって彼と私とを比べてしまうからで、彼もそのことを解っていたから私を止めなかったんだと思う。ただ悲しい顔をするばかりで彼は何も言わなかった。その度に彼を深く傷付けていたことに、どうして私は気が付けなかったんだろう。私なんかがカカシの側にいてもいいのかな。前に一度そう言ったら、カカシは怒ってしまってそれから丸一日私と口をきいてくれなかったことがある。もう絶対にそんなこと言わないでと、やっぱり泣きそうな顔の彼にそう言われた。私は今も昔もずっと、彼を傷付けることしかしていない。傷付けたことにすら気が付かなかった私が彼を好きだと側にいる資格なんてないのに。

「…起きた?」

穏やかな響きが鼓膜にやさしく滑り込んで、その心地好さにすぐ側にカカシがいるのだと感じ取る。私、あれから家に帰ってすぐに寝てしまったんだ。さらりと前髪を撫でていた大きなてのひらは、それからそっと私の瞼に触れる。体温の低い無骨なその指先とは反対に、私の胸は熱くなった。眠いならまだおやすみ、そう言って薄く微笑んだ彼に小さく首を振る。カカシに鍵を渡しておいてよかった。寝起きのせいか視界がまだ少し揺らいでしまうのがじれったい。目をこすろうと伸ばしかけた腕は、彼によって手首を掴まれ制されてしまった。

「…いつから、いたの?」
「さっき来たばっかり」
「ほんとう?」
「本当、」

ソファで寝ていた私のすぐ側、フローリングに直に座っているカカシの見上げる視線がなんだか見慣れなくて少しくすぐったい。手をのばして普段隠されている頬に触れてみる。くすぐったそうに目を細めた彼に胸がぎゅうと苦しくなった。こんなにも彼を愛しいと思えるのに、どうして。

「疲れてたの」
「…ん、どうかな」
「おれが何回名前呼んでも、起きなかったよ」
「ごめん、…ね」

頬に触れていた手を彼の首の後ろに滑らせる。それから灰色の髪に触れて、指先に襟足を絡めてくるくると指を動かした。驚いたのか微かに肩を揺らしたカカシをそのままに、首に両腕をまわしてぎゅうと抱き着く。彼の呼吸の音が聞こえる。近すぎる息遣いに軽い目眩を覚える。全部ぜんぶ、こんなにも心を掻き乱されるのは目の前の彼のせいだから。頭の中で何度も彼の名前を呼ぶ。胸がくるしくて、こわれそう。

「さっき、」
「…うん」
「すきじゃないって、言われてるみたいだった」
「カカ シ、」
「なまえはおれがいなくても平気なの?」

そっと体を離す。真っ直ぐな眼差しとぶつかって、思わずこくりと息を飲んだ。すぐに伏せられてしまった瞳は罰が悪そうにさ迷っている。違うと言いたいのに、喉の奥がからからに渇いてしまっていて一つの言葉も紡げない。早鐘を打つ心臓の音がやけに大きく聞こえる。そんなわけないよ、カカシがいなくて平気なわけないよ。だから、駄目。私が苦しくなっちゃいけないの。そんな表情をさせてしまっているのは私なのに、なのに、

「おれが告白されたら嫌な顔してよ、…もっと気にして、平気じゃないって言って…」
「――」
「おねがい、」

ふるえる彼の唇。彼のこんな表情を私は見たことがあっただろうか。切ない声の響きに身体がふるえた。頼りなさげに歪む彼の表情に、後悔をする。私、彼がこんなふうになってしまうほど追い詰めていたの。

「カカシ」

ぱたり、フローリングに涙の落ちる音。やっとかすれ出た声は彼の名だった。涙はとまらない。どうすれば全て伝わってくれるの、私の思うこと全部、伝わって欲しいのに。言葉を探すけれど見付からない。どんな言葉もカカシを傷付けてしまいそうでこわい。でもこのままじゃ、私達はきっと駄目になる。

「わたしは、ずっと、」

だから、とまらない涙もそのままに彼の手を両手でぎゅうと握った。

「カカシにはきっと、もっとカカシに見合う素敵なひとがたくさんいると、思ってて」
「……」
「でもやっぱり、カカシのいちばん近くにいたいって思、う」
「なまえ、」
「へ、へいきなんかじゃないの。さっきも本当は、行かないでって、思ってた…」

言い終わるか終わらないかの後に頬にふわりと彼の髪が触れて、肩に額を預けてくれているのだと知る。肩に感じる微かな重みがうれしくて、背中に腕をまわしてしがみつくように彼を抱きしめた。やっぱり涙はとまらなくて、彼の髪に鼻先をうめる。

「…よかった、」

心底安堵した声音が甘く身体中に染み渡るようだった。不器用な彼の我が儘を、愛しいと思う。私の拙い我が儘も、彼になら言いたいと心から思った。

「なまえもおれがいないと、寂しくなったりする?」
「するよ」
「ふ、本当に?」
「ほんとう」
「おれだけじゃ、ないの」
「わたしもおんなじ」

私のいないところで彼は私を思い寂しいと感じてくれていたのなら、私は何を迷う必要があるというのだろう。カカシの両頬を両手で包み込むようにして真っ直ぐに目を合わせる。揺らぐ瞳の向こう、同じように泣き顔の私が映っていた。こんなにもちかいことを知る。彼にいちばん近いこの場所にいることのできる私を、誰も咎めたりしない。微笑む彼の瞳に唇で触れて、それからそっと彼の名前を呼んだ。


さよら、カーテンコールはまだよ


10'0611
title 誰花

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