※現代

「もうちょっと上向いて、」
「こ、う…?」
「そう」

目尻のあたりに先生の指先が触れて、上を向く私の右目を先生の瞳が覗き込む。綺麗な黒の中に私が映っているのが見えてうれしくなった。先生が触れているところに心臓があるみたい。どくん、どくん。熱くなっていく頬に気付いて欲しい気持ちと、相反する気持ちが体のなかでぐるぐる渦巻いている。先生の指先はびっくりするほど冷たくて、気持ちいい。

「睫毛はいってるね」
「…やっぱり」
「真っ赤になっちゃってる」
「うう」

眉を下げる先生は困った顔。ゴロゴロするからといって先生に診てもらった右目には、コンタクトの内側に睫毛が入ってしまっていたらしい。あんまり痛くて、また目をこすろうとのばした手は咎めるような先生のそれに掴まれてしまった。瞬きを繰り返したせいで視界が涙でにじむ。

「だから、こすっちゃ駄目だって」
「カカシ先生、ほんとにわたし、痛いの」

思わず出た泣きそうな声に自分でも驚く。でも本当に痛いんです、先生。目も開けられなくなってきちゃった。離してくださいという意味で腕を軽く振る、けれど。先生はため息をついてもう一度私の目を覗き込んだ。

「少し、我慢して」

耳に注がれる擦れたテノールに鼓膜がふるえる。まぶたと目の下を片手でおさえられて、縮められた距離のあまりの近さに体が揺れた。体を固くしてされるがままになっている私に気付いた先生は、声を漏らして笑ってみせる。そんな子供みたいな笑い方もするんだ、と思った。

「ほら、とれたよ」

先生の指先にはコンタクトがのっていた。指先が離れるのと同時に目の痛みがすうっと消えていく。コンタクトが片方ないせいで先生の顔がゆらゆら揺れた。ちゃんと映したいのに、ぼやけて見えない歯痒さに唇を噛む。なだめるような口調も、曖昧なその笑顔も、私が欲しいものじゃないのに。

「せんせ、みえないっ」
「今コンタクト洗ってあげるから」
「みえないの!」
「う、わ…っ」

焦った表情、声音。先生のネクタイを力いっぱい引っ張って、そのままベッドになだれ込む。ばふんと空気の音がして、先生の顔の横に両手をついた。見開かれた瞳いっぱいに私が映る。自分では気付かなかったけれど、瞳のなかで揺れる私は今にも泣き出しそうな顔をしていた。

先生は、私の下で困ったような薄っぺらい笑顔をつくっている。剥がしてやりたい、困らせたい、怒らせたい。

笑って、欲しい。

「…なまえ、」
「先生、しゃべらないで」
「どうしたの、欲求不満なの?」
「しゃべらないでよ…!」

欲求不満?ちがうよ、先生。わかってるくせにどうして聞くの。

「…なんて顔、してるの」

私の頬に触れた先生のてのひらの動きがあんまりやさしいから胸がぎゅうと締め付けられる。くるしく、なる。先生も私と同じような表情をしていた。下げられた眉が色っぽくて、思わず息をのむ。シーツをくしゃくしゃになるまで握り締めていたことに気付いて、少し恥ずかしくなった。

「俺にどうして欲しいの、おまえは」

手の甲を目の上に置いて、先生は小さな声でつぶやく。明らかにいつもとは違うすれた声に心臓がはねた。先生も、私と同じだったらいいのに。本当はこわくてこわくて仕方ないの、平気なふりをしてるだけ。

「キス、して欲しい」
「本気なの」
「ほんとにほんとに、本気」

大きなてのひらが頭の後ろにまわって、そのままゆっくりと引き寄せられる。先生の吐息が鼻にかかって、軽い目眩をおぼえた。

「…責任、取ってよ」

覚悟なんてとっくにできてるの。





(今だけだなんていわないで)

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