しゃこしゃこしゃかしゃか。目をつむったまま洗面台の前で歯を磨く彼の隣に立ち、同じようにわたしも歯ブラシに手を伸ばす。歯磨き粉を歯ブラシにのせようと力をこめると、にゅるっと出てきたまっしろな歯磨き粉はそのまま洗面台にぼとっと落ちた。あ、と間抜けな声が出る。もったいない。

「なにしてんの」
「わざとじゃない」
「そろそろ新しいの欲しいな」

彼は間延びした声で、めんどくさそうにそう言い、歯磨き粉のチューブをわたしから奪い取って残りわずかな歯磨き粉を見つめた。底尽きそうになっているものならいくらでもある。トイレットペーパーも洗濯用洗剤も、あと綿棒ももうないよ。買い物に行かなくちゃ。

ドラマでよく見るカップルのように、彼の歯ブラシは青色でわたしのはピンク色だなんてそんなことはなくて、彼の歯ブラシは黄色だし、わたしの歯ブラシに至っては電動である。ふたつ並べてみてもちっとも可愛くない。コップだって100円ショップで買った安物だ。

「ゴムちょっとのびてきたね」
「いてっ」

ボクサーパンツを軽く引っ張ってはなすと、歯ブラシを持ったままひじで頭をどつかれた。いたい。お気に入りのパンツばっかり率先して履くからゴムが伸びちゃうんだよ。

「最初は手つなぐだけで顔真っ赤にしてたのに、おまえあの頃の可愛さどこいった」
「いつの話掘り返すの。顔あかくしてたのは久々知もでしょ」
「忘れろよ」
「いーや」
「初めてデートしたのって美術館だっけ」
「わーなつかしいねえ。久々知さ、対して興味ないくせにわたしに合わせてたくさん話振ってくれたよね」
「おれ必死だったもん」
「あのときはうれしかったけど今考えると笑える」
「おまえな」

ひとしきり笑いあって、そばにあったタオルを彼に渡し洗面所をあとにした。顔を洗う音がする。水道の音。いつも久々知は水を出しすぎるから。目玉焼きは半熟が好き。ハムよりベーコンが好き。朝は必ず冷や奴。絹より木綿が好き。元々あまり食にこだわりのないわたしは、今ではすっかり彼の食生活が染み込んでいる。お米はやわらかめ、そろそろ炊けるかな。

「ひげ剃り失敗した?」
「いてえ…」

洗面所から戻ってきた久々知は髪をきっちりセットして、ださい眼鏡はコンタクトになっている。あごの下のところがほんのりあかくなっていて、あれは痛そうだなあ。ひげなんか生えててもうすいから気にならないのに。ひりひりする…と眉をしかめる彼の前にコーヒーを置く。

「どっか行くの?」

椅子に座りサラダにドレッシングをかける。休日の朝から髪をちゃんとしてるなんて珍しい。いつも外に出る予定がない日はボサボサのままで一日を終えるくせに。なにかあったかな。

「え、あ、いや」
「なに」
「行こうよ、どっか」
「…どうしたの」
「今ならおれも美術館楽しめるかなと思って」

そんなにかっちりした髪型されちゃ断れないよ。なんだかおかしくてにこにこしてしまう。久々知はなんだかよくわからない表情をしている。顔を隠すようにマグカップを持っている。わたしは箸でプチトマトを挟んで彼の目の前に差し出した。いやなかおをしながらも久々知はそれをパクっとくちにいれる。そんなかおしないで。かわいいよ。

「じゃあついでにお花見しよう」
「…なに笑ってるんだよ」
「髪型きまってるぅ」
「バカッ、うるさい!」
「わたしお弁当つくるね」
「…つくれば」
「うん、つくる」

付き合ってもうすぐ三年経つね。告白してくれた日のこと、忘れたことないよ。くれたプレゼントもぜんぶぜんぶ大事にしてるよ。二年前にわたしがあげたキーケース、もうぼろぼろだね。うれしくなる、彼の日常にわたしがいること。溶け込んで一緒になりたい。何度もケンカして何度も仲直りして、風邪をひいて、旅行に行って、わたしの日常にいつも彼がいたように。

「久々知、なにいろの服着る?」
「え?あーあれ着る。黄色っぽいカーディガン」
「じゃあわたしも黄色のワンピース着るー!」

ふざけてクローゼットのある寝室に駆け込むと凄い形相で彼が追いかけてきておなかを抱えて笑った。おそろいの色なんて着るわけないでしょう。代わりに、この前久々知に選んでもらったうす桃色のスカート、はいてもいいよね?
春色の部屋
×