あなたになら存分に傷つけられたいし陶器みたいに大事に触られたいの続き

鉢屋はすっと立ち上がり、縁側に腰掛けたままのわたしの左肩にそっと手を置いた。一人残される不安を、彼には簡単にくみ取られていたのだ。だから肩に触れた、そうなんでしょう。唇をかむ。こんなにやさしい人たちに、心配をかけてばかりの自分が情けなかった。上を見上げれば微笑む彼と目が合う。ほらね、と瞳がやさしげに揺れる。雷蔵はおまえを嫌ったりしないよ。そう言った彼の先ほどの言葉を思い出した。心の底では私もそんなことはわかっていたの。彼がわたしを突き放すことなど決してないこと。けれど、きっと今まで通りにはいかないこともわかってる。わたしはありがとうと唇を動かした。彼は薄く笑っただけだったけれど。いつもわたしをみていてくれてありがとう、それから、わたしに彼と向き合う勇気をくれてありがとう。

「ありがとう、三郎」
「…礼などいらないよ。じゃ、私はこれで」

彼の気配が消えてすぐ、雷蔵が一歩わたしに近付く。どうしてこんなに落ち着いているのか自分でもわからなかった。不安で押しつぶされそうだったのに。どんな顔をして会えばいいのと、そう思っていたはずなのに。やけに心は穏やかだった。鉢屋がわたしの肩に触れたから?きっとそれもあるだろうけれど、わたしはやっと気付いたんだ。彼らのおかげで、いちばん大切なことに気付けたんだ。

「隣に座ってもいいかな」
「どうぞ」
「ありがとう、」

隣に座る彼から緊張しているのがいやでも伝わってくる。強張った声と表情をしていた。どこを見てるの?横顔だけじゃわからないよ。きっとわたしを傷つけない言葉を必死で選んで、たくさん悩んだんでしょう。雷蔵はやさしいからすごく苦しかったはずなんだ。それだけで十分だよ、何にもいらないよ。もう何を言われてもこわくはなかった。彼の言葉を聞きたいとさえ思っていた。どんな彼の言葉も受け入れたいってそう思える。雷蔵のことが好きだから、もう彼から逃げないで向き合いたい。わたし、雷蔵が好きだった自分をこれからもずっと好きでいたいから。覚えていたいから。大切なわたしの一部だったから。

「…あの、なまえ」
「わたしが先に話してもいい?」
「え、あっ、うん。」

足を曲げて体育座りをする。両膝を抱え込んで彼を見上げた。彼もわたしを見ていてくれた。目が合ったことがうれしくて、頬が緩む。自然に微笑む。わたしが笑ったことにおどろいたのかほんの少し目を見開いた彼だったけれど、それはすぐにわたしが好きな表情に変わる。目尻を下げて微笑む、その表情。彼の視線が今はとても心地よかった。

「謝らせて」
「…え」
「さっき、おおきな声だしたりして…みっともなかったね。ごめんね。」
「っそんなことないよ、そりゃ少しは…驚いたけど」

雷蔵はやさしい。今だってほら、ね。わたしのこと考えてくれてるんだよね。傷つけないように、思ってくれてるんだよね。

「本」
「…うん」
「雷蔵が欲しがってたあの本、鉢屋と買いに行ったの」

もう一度ふかく膝を抱え込む。雷蔵と行けたら一番良かったけれど、それはかなわなかったから。うつむくと耳にかけていた髪が静かに頬に流れ落ちた。声はふるえない。ねえ、もうわたし大丈夫だよ。忘れなくていいって気が付いたの。雷蔵が好きな気持ちを必死で抑えていた自分がいやだった。あのこがうらやましくて、嫉妬して、うまく笑えない自分がきらいだった。全部投げ出したかった。こんなにくるしいなら、すてたかった。でも、そんなことできなくて、つらくて。こっちを向いて欲しくて、好きになって欲しくて。今までの格好悪い自分全部、受け入れるよ。すてないで、忘れないで持ってるよ。

「…そうだったんだ」
「ずっと欲しいって言ってたから、内緒でね。それで…よろこんで欲しかった」
「……」
「あのこのことが好きなのは前から知ってたよ。雷蔵をみてたらわかったの。」

彼のほうを向き笑ってみせる。きっとこの笑顔は、痛々しくなんてうつってはいない。だって心から雷蔵があのこを思う気持ちを、友達として好きになりたいって思うんだもん。もう雷蔵のために流す涙は残ってないんだよ。使い果たしちゃったんだよ。ねえ、そんなにきつく唇かんだら痛いでしょ。つらい顔も悲しい顔ももう見たくない。

「本当はずっとわかってた。でも、…もしかしたらって、」
「…うん」
「そういう望みを捨てきれなかった」

空を仰ぐ。やわらかな風が頬を撫ぜた。揺れる彼の栗色の髪が視界のはしっこでちらつく。わかっているよ。今彼がわたしの隣でどんな表情をしているかなんて、もうわかっている。彼のほうを向き目を合わせた。それから、静かに息をはく。

「雷蔵はなんにも悪くないよ。だからそんな顔しないで。ね、お願い。わたし、雷蔵を悲しませようとして告白したわけじゃないよ。雷蔵を苦しめようとして好きになったんじゃないよ。」

瞳いっぱいにわたしがうつっていた。それだけで心が満たされて、溢れてしまいそうだった。そっと胸に手をあてて、彼は微かにうつむく。

「なまえが泣いているのをみて、苦しかった…」
「……」
「僕は何を言ってもきみを傷つけるような気がして、こわくて、だけど」
「…うん」
「うれしかったのも、本当のことなんだ」

すれた声音がせつない。膝を抱えるわたしの腕に彼の手が触れる。軽く引かれて、彼のおおきな手の平がわたしの手をそっと握った。わたしはちいさく息を吸う。あたたかかった。伝わる体温が、あんまりあたたかいから。雷蔵。思わず、音にせず彼の名前を呼んだ。涙がころりと一粒、転がり落ちた。

「らいぞう」

彼の目を見ればわかるんだ。おおきな瞳が揺れる。うすい涙のまくが、わたしの胸をぎゅうと締め付けた。ありがとう、ちゃんと受け止めてくれて。うれしいよ、無駄じゃなかったって思えるよ。悩んで迷って言葉を見つけ出してくれて、それをわたしにくれてありがとう。大切にしてくれて、うれしかった。

「僕だってきみのことが好きだよ」

雷蔵、すきだよ。すきだったよ。すごくすごく、あなたのことがすきだったよ。

「大切な仲間だよ、きみも、三郎も、大切なことに変わりはないんだ」
「…ありがとう」
「変わらずにいたいって言ったら、我儘かな」
「違うよ、それはわたしの我儘なの」

彼の言葉がうれしくて笑った。わたしのことを、好きになって欲しかった。あのこじゃなくて、わたしを見て欲しかった。けれど彼はわたしを好きだと言ってくれた。大切だと、うれしかったと言ってくれた。もう十分だよ。わたしの思いは報われたよ。わたしはこれからも彼のそばで、もう持ち合わせていないこの感情を忘れないで生きていくね。

「雷蔵、わたしと――…」

きっとわたしはいまこの瞬間から、やっと前に足を踏み出せたんだ。彼と彼の手を取って、歩き出せたんだ。



わたしを泣かせる温度

だいすきよ
帰れない僕らのラストワルツ
彼についた嘘の数
あなたになら存分に傷つけられたいし陶器みたいに触れられたい
わたしを泣かせる温度
'111218 end
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