「小平太」

そっと名を呼べば、彼は閉じたままの瞼でうっすらと眉を下げ表情をやわらかくした。微かに弧を描く唇に私は全てを悟る。寝た振りだなんて、今日は随分可愛いことをするのね。綻んだ頬は隠せていないというのに。かく言う彼も、本気で私を騙そうなどと考えている訳ではないだろうけれど。後ろ手に引き戸を静かに閉じ、彼の枕元に腰を下ろす。呼吸の音が聞こえて私は今一度安堵した。乱れた髪に手を伸ばして、梳こうとした指先に絡まる傷んだ毛先を愛おしいと思う。ねえ、いつまで寝た振りをしているつもり。貴方が体調を崩したと人に聞いたから、私駆け付けたのよ。どんな思いで医務室まで走ったと思ってるの。ふと何かに引っ張られる感覚に目を向けると、制服の裾を引く彼の手が見えた。くすぐったそうに目を細めて微笑む彼が、そこにいた。

「小平太」
「髪、痛いよ」
「…もう、平気なの」
「寝ていなかっただけさ、大したことないんだ」

いさっくんは世話焼きだからな、そう言って薄く笑う彼の表情の普段との違いに、どきりと心臓が音を上げた。もうすっかり大人のそれに、少し息をするのがくるしくなる。確かに私に小平太のことを伝えたのは紛れも無い善法寺なのだけれど、彼は大したことないなんて一言も言ってはいなかったわ。善法寺のとても苦しそうなあの顔を、小平太、貴方は知ってるの。

「熱があるって、善法寺が」
「もうよくなったよ」
「嘘、こんなに熱いのに」

そっと前髪を掻き分けて、額に触れてみる。しっとりと汗をかいたそこはまだ十分に熱を持っていて、やっぱり私は息苦しくなった。苦笑いをしてみせる小平太を軽く睨む。

「そんなにこわい顔をしないで」
「……」
「せっかく来てくれたのに、そんな膨れっ面はいやだな、」

うつむく私の頬にやさしく触れるその固い指先さえもどうしようもなく熱くて、私はそれをぎゅうと両手で握り締めた。私、本当はどうしたらいいかわからないの。気丈な貴方がこんなに弱っていて、苦しそうで、そんな今どうすればいいのかわからない。上気する頬はきっと彼を蝕む熱のせい。けだる気に潤む瞳もきっと、熱のせいなのだ。彼が無理をしていたこと、私はずっと以前から知っていたのに。

「こへ、い」
「泣かないで、」
「…っ」
「私は大丈夫だよ」

固い指先はするすると頬を滑り、輪郭をたどるような手つきをした。涙を拭うその大きな手が愛しくて、甲にそっと口付ける。彼は一瞬目を見開き驚いたようだったけれど、すぐに微笑み布団の中で微かに身じろぎをした。なんてやさしい目をするの、なんてやさしい声をするの。

「走ってきてくれたんだ」
「…え」
「汗、かいてるから」

いつの間にか首筋に触れていた手が、離れていく。彼に触れられた場所が熱い。急に恥ずかしくなり思わず首筋を手で押さえれば、そんな私を彼はくすりと可笑しそうに笑った。その笑顔につられ私も笑う。そして私に、本当にやさしいその微笑みをくれる貴方を誰よりも愛おしいと思う。

「走って来てくれてうれしい」
「…うん、」
「いさっくんも真っ先になまえに伝えてくれるなんてね」
「…後で善法寺に冷やかされる」
「どうして?」
「とても取り乱した、から」

私の言葉に大きな瞳をまた更にまんまるくさせた彼は、またもや驚いたのかしばらく私を凝視していた。しぬほど恥ずかしかったけれど私も負けじと見つめ返す。彼に見つめられると駄目なの、胸がくるしくなって呼吸が早くなって、本当に駄目。腕が私の頭まで伸びてきて、それから髪をまぜるように撫でられた。ありがとう、とそう言って、小平太はうれしそうに笑った。




 あなたが私に触れるとき
 (私があなたに触れるとき)
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