だいすきよの続き

「また雷蔵か、」

ふいに上から降ってきた声にさほど驚きはしなかった。やわらかく空気に溶ける彼の声が、すうと私のささくれ立った心臓を撫でて痛みを鎮めていく。せっかく空けておいた休日も無駄になってしまったというのに、私はというと学園で特にやることもなくただぼうっと時間が過ぎるのを待っていた。雷蔵はこの休日、何をして過ごしているのだろうか。耳にかけていた髪がはらりと頬にかかる。それをまた耳にかける仕種をして、横に立つ彼をそっと見上げた。

「鉢屋」
「落ち込んでるのかと思ってたのに」
「…そんなことないよ」
「じゃあ私は必要ないかな」
「慰めにきてくれたの?」
「まあ、そんなところ」

音をたてずに私の隣に座る鉢屋はとても穏やかな表情をしていて、それを見た私の心は少しずつ落ち着きを取り戻していく。右膝を立てて座る彼の背中は丸まっていて、なんだか猫のようだと思った。

「なまえはいつもここにいるな」
「…鉢屋はいつもここに来てくれるね、」

ほんのりと笑う鉢屋は軽く私の肩を自分の肩で小突いてみせる。わ、と小さく声を出せば彼は肩を揺らして悪戯っぽく歯をみせて笑った。胸の奥がじわじわあたたかくなる。鉢屋はとても静かな人だ。とても静かに傍にいてくれるから、私を宥めてくれるから、ただ隣にいてくれるから。だから私はこの場所に来てしまうのかもしれない。小さな池のある縁側、食堂の近く。何かあったときに決まってここに来ることをきっと鉢屋は知っていて、それでいて隣にいてくれる。その何かがほとんど雷蔵とのことだって、鉢屋はわかってくれている。

自分が情けなくてきゅっと唇を噛めば、ふいに鉢屋の腕が伸びてきて、そっと髪を撫でられる。そのままぐいと引き寄せられて額が彼の胸とぶつかった。鉢屋はもう笑ってはいない。胸の辺りがえぐられたみたいだったの、だいすきなのに会いたくないって思っちゃうの。雷蔵はきっと、あのこが好きなの。

「雷蔵に言ったの、今度のお休みに二人で町に行こうって」
「うん」
「でも雷蔵、あのこのほうみててわたしの話全然聞いてなくて」
「うん」
「一緒にいたのはわたしなのに、」
「…うん」
「雷蔵が読みたがってた本、この前の実習のときに見付けたの。だから、一緒に行きたかったの」
「…なまえ」
「ん、」
「泣かないで」

唇がふるえて、うまく声が言葉を綴ってくれない。涙がこぼれた。やさしいやわらかな声音に鼓膜が溶けてしまいそうだと思った。鉢屋の傍にいるとそれだけで私の防衛本能はゼロになるのよ、

「なまえ、今から顔を洗って、それから私服に着替えておいで。私は門のところで待っているから、準備が出来たら一緒に小松田さんのところに行こう」
「はち、や」
「私と町に行けばいいじゃないか」
「……」
「雷蔵が探していた本を買って、後であいつに渡してやればいい」

ね、と微笑む彼に、鉢屋はどこまでやさしいひとなのだろうかと不安になる。落ちる寸前にそっと掬い上げてくれるこの手に、何度救われたかわからない。小さくごめんねと言った。鉢屋は私の手を握って、だからもう泣かないでと言った。





(君がきえてしまわぬように)



▼続きます
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