「あ、あのね。雷蔵が読みたがってた本、わたしこの前町で見つけたの」
「……」
「だから今度、一緒に行けない、かな。二人で」

熱くなる頬を自分ではどうすることもできずにいた。目の前で古びた本に視線を落としていた彼は今、どんな顔をしているのだろう。驚いているかな、それとも、違う表情をしているの。

「明日のお休み、もし暇だったらなんだけど。ね、雷蔵、」

期待に溢れた眼差しを受け止めてくれるいつもの瞳は、私じゃない他の誰かのことを捉えていた。名前をよんで彼の返事を聞くために顔を上げる。彼の視線の先には、可愛いあのこがいた。さっきまで確かに彼は本を読んでいたはずなのに、その穏やかな視線は規則正しく並んだ文字をなぞっていたのに。それが今、彼の熱っぽい視線は、窓際で私たちと同じように静かに読書をしている彼女に注がれている。薄く開かれた唇は小さなため息を漏らした。

つきんと苦しくなる胸には、慣れたはずだったのに。いつになったら平気になるの、あのこを想う彼をみる度どうしてこんなに胸が痛くなるの。痛い、痛いよ。ねえ雷蔵、私の声、きこえてないの。あのこのこと、考えてるの?

「雷蔵、…雷蔵ってば」

少し大きな声を出して彼の名前を呼べば、雷蔵はやっと私の声に気付いたようで窓際に向けていた視線を私のほうに向けてくれた。彼の瞳からあからさまに見てとれる焦りの色が、かなしかった。悪いことをしていたかのような罰の悪い表情で、私のことを見ないで欲しい。かあ、と赤く染まる頬に、ずきんと嫌な音を上げる心臓。

「あっ、えと、ごめん。何か言った?」

取って付けた様な言葉は私を余計に惨めにさせる。慌ててしおりも挟まずに本をぱたりと閉じるその仕種に、胸が軋むみたいに痛んだ。そっか、私の声、届いてなかったんだ。そっかあ、

「…わたし、もう戻ろっかな」
「えっ、なまえ、」

唇を噛む。声が震えないように、ちゃんと普段通りに笑えるように。ゆっくりと読みかけの本を閉じた。きちんとしおりを挟むのも忘れない。このしおりは彼が朝顔を押し花にしてくれたもの。わたしに、くれたもの。ずっと使っているせいで所々破けてしまっている。

「また来てもいいかな」
「それは構わないけど…、まだ読み終わってないじゃない、その本」
「…いいの、」

また来るって、言ったじゃない。そう言って立ち上がり、笑いながら制服の皺をのばす。正座をしていたせいで少しだけ足が痺れているのも気にならない程、ここから今すぐにいなくなりたかった。立ち去りたかった。だって雷蔵、ひどいよ。私が何度、雷蔵って、名前呼んだと思ってるの。泣きそうなの、わたし、

「ありがとう。本、一緒に探してくれて」
「いや、大丈夫…だけど」

彼に背を向け、図書室の入り口の引き戸に手をかける。そんな不安げな表情をしないで欲しい、振り返ったわけではないけれどきっと雷蔵は私の思う通りの表情をしていると思った。

「雷蔵、またね」

引き戸を開けて振り返り彼に手を振る。私が笑えば、彼もぎこちなく笑って手を振り返してくれた。どうしてこんなに痛いんだろう、どうしてこんなにくるしいの。





(あのこをみる目が本当にやさしかったの、)


▼続きます
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