ただ、彼の隣を歩いてみたかっただけ。あわよくば手を繋いで、笑い合いたかっただけ。夜遅くまで部活をしている花井だから、一緒に帰ることは到底できない。私の部活は八時に終わってしまうから、やっぱり野球部とは合わなくて。私は何度も彼に野球部の練習が終わるまで待たせて欲しいとお願いをしたけれど、それが叶えられたことは一度だってなかった。花井がゆるしてくれなかったから。ぜったい駄目、そう言われてしまうのが常。教室で待っていれば危なくなんてないのに、花井はゆるしてくれない。

彼の隣を歩いたこと、彼女なのに今まで一度もないの。だから手を繋いだこともない。手を繋いで歩く彼氏彼女を見ると、うらやましいな、そう思わずにはいられない。それと同時に、我が儘なことばかり考える自分に嫌気がさした。花井は本気で野球をしているの。それを応援するのが、支えるのが彼女でしょう。だから、何度目かわからない私の我が儘を彼に告げたとき、いい加減わかって、と突き放すように言われてしまったあの日から、私は一緒に帰りたいと花井にお願いするのをやめた。彼にとってはそういうことがあまり大切じゃないのかもしれないと思うと、胸がくるしくて、こんな胸のくるしさも私だけかなと思うと、ぽろぽろと涙がこぼれた。



「ね、水谷」
「んん?」
「彼女って、何するの?」
「…え、どしたの、急に」

昼休み、阿部と一階の自販機に行った花井を見送って前の席に座る水谷にそう言えば、彼は目をおっきくして眉を少しだけ下げてみせた。変な質問、しちゃったな。

「やっぱり、なんでもない」

花井を責めているようで、こんな言い方はなんだか嫌だ。へらりと笑ってプラスチックの箸を持ち直す。水谷ははぐらかした私に腑に落ちないって表情をしたままで、私はそんな水谷に静かに苦笑した。花井の彼女は私なんだってそれだけで、こんなにしあわせなことってないんだよ。

「ほら、アイスティー」
「花井」
「あとこれ、お釣り」
「あり、がと」
「ん」

いつの間にか教室に帰ってきていた花井が、私の名前を呼ぶ。振り向くと彼は穏やかな表情をしていた。いつもの、花井。彼は私の側まで来て冷たいアイスティーを私の手の平に握らせた。右手にアイスティー。左手にはお釣りを。相変わらず変な顔をしている水谷に、余計なこと言っちゃったなあとほんの少しの後悔。

「暑いな」

かたり、私の隣の席に腰掛けた花井は私のほうを向きながら片手で風を送っていた。気を利かせてなのか、水谷が席を立ち阿部のところに歩いて行く。下敷き使う?彼に下敷きを差し出すと、おお、と花井はうれしそうに笑った。

「おま、ボタン」
「え?」
「第二まで開いてる」
「…なに、花井どこ見てんの」
「なっ、ば…っ!違えよ!」
「じゃあなあに?」
「おれが言いたいのはだなあ…!」
「あはは、わかってるよ、」

顔をあかくして怒っていた花井は、私の言葉に拍子抜けしたように表情を強張らせた。私は大人しく第二ボタンを閉める。花井は私からふいと顔を背けて、ぱたぱたと下敷きで風を送っていた。耳まであかいのに、気付いていないのかなあ。

「花井」
「…んだよ」
「こっち向いて」
「っ、知らね」

花井のことが好きだなと思うとき、例えばこんなとき。私のこと、見せたくないって思ってくれたのかなと花井のことをちらりと盗み見れば、彼も私のことを見ていて驚いた。ばちりと目が合う。二人して慌てて目をそらす。胸が熱くなる。うれしくてどうしたらいいかわからなくなる。

私はそのとき、思ったのです。やっぱり花井と一緒に帰りたいって、隣を歩いてみたいって。夏はすごくすごく暑いけれど、それでも花井と手を繋ぎたいって、そう思ったのです。だから、今日の放課後は教室で花井を待っていようと思います。花井、びっくりするかなあ。どんな顔してくれるかな。はやく、花井に会いたいな。

私はあと小一時間この静かな教室で、彼のことを待つしあわせな時間を過ごすのです。




ロー、プリズム



▼0627 続きます
振り二期ありがとう

title クロエ

×