Garden


秘密の箱


参加者


総評.ソヨゴ
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シドくん総評

一から十まで勝手なことを言ってます。


【いかりを舞台へ】

・「真剣に怒ってるのってよ、他人から見たらおもしろおかしかったりするもんだろ? そんなもんだ」
・いかり、については真っ先に手にしました。一番自分に身近な感情だと感じているのでしょう。そんなに怒らなくてもいいんじゃない? 笑い物にされるぐらいがちょうどいいぜ、お前。
・「・・・怒りを知ってほしい? んー、どうしようもねえやつだなとは思うが、思い当たる節はなくもないな・・・」
・理不尽な暴力で罪のない人の命が奪われるとき。自分の守ってきた秩序が、誰かに乱されるとき。


 自分の激情や盲信具合について、ある程度客観的な見方をしている様子。
 Gardenに来て、一度記憶を失った状態で徐々に記憶を取り戻し、今までの自分を客観的に観察するという過程を経たからこそ、かな?
 過去の自分の猪突猛進っぷりを阿呆らしく感じてもいるみたい。外から見つめ直してみれば、大したことない操り糸だったということでしょうか。
 一方、『不条理』なものに対して、怖れを抱いているのでは? とも感じられました。
 理不尽、秩序を乱されること、への「怒り」。「怒り」は排他の感情、自身を害するものへの拒絶反応。言い換えてみれば、シドくんは理不尽な暴力の存在に、あるいは自身を支える秩序が乱されることに、恐怖を覚えているのではないかしら。
*****
 シドくんの怒りの正体は防衛本能なんじゃないかなという気がします。幼い頃に理不尽な暴力で家族を失い、以後寄る辺を失って半ば『秩序』に依存する形で生きてきた彼は、自分の身を守るためにそうしたものへ『怒り』を向ける。
 でもそれが、「怯えた犬が牙を剥く」ような行為に過ぎないと、もう分かっているから、そんな自分が滑稽に見えるのかも。「舞台に上げる」という選択をしたのは、そういう自分の姿を一度観賞≒観察の対象として切り離し、良く見て、自省すべきだという意識の表れなのかもしれませんね。



【たのしみを手元へ】

・「さーて、他はどうすっかなー・・・」 頭をかきますね。 よろこび、かなしみ、たのしみ・・・と順に見てから、うーんと唸ります。
・「先に手に残したいものがどれだか考えてみるか。・・・そうだな、俺だったら・・・」


目標の設置、何を目的(≒善)とするかをまず明確に定める性質


・「こいつだな」 と、ひょいと<たのしみ>のライオンを手に取ります。
・「さて、俺はこいつを持っていくぜ」 にしし、と笑いながら<たのしみ>の人形を手に持っています


自分が楽しいかどうかが大事:子供っぽく無邪気な一面
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 この感情について深く考察するのはやめておきましょう、というかこれは単純に、シドくんの子供らしい一面が出てきたシーンじゃないかと個人的には思っています。
 どちらにせよ、シドくんが「秘密の箱」にしまった感情なのだから、あれこれ言うのも野暮、ということで。逃げます()



【よろこびを檻へ】

・「舞い上がってるやつとか、自分がそうなるのってあんまり好きじゃねえし。そんなにうれしいんなら、一人でも幸せだろ」
・よろこびを檻に入れたのは、なんとなくそうであるべきだと思ったから。喜んだり舞い上がったり、幸せを感じている人間が一番危ないんだ。間違いを犯しても気づかない。お前は檻に入っているべきだ。
・「隠しておきたい、か。まあそうだろうな。自分が喜んでるときは、あんま人に見られたくない。 ・・・恥ずかしいからな」
・大切な誰かを守り切れたとき、自分の目標を達成できたとき。


 <いかり>についての考察と若干繋がりがありますが、「自分が喜び勇んでいる状態」に危険を感じている様子。それは、以前の自分のように目の前の『善』を盲信、固執して、他の選択肢を見失うことへの、無意識の警戒の表れなのかもしれません。
 「大切な誰かを守り切れたとき」「自分の目標を達成できたとき」の喜びを恥ずかしい、と感じるのは、両者共に、成功した際に自分が、得意げになりがちだからじゃないでしょうか。そんな自分が恥ずかしいだけで、喜びそのものを恥ずかしがっている訳ではないような気がしました。前者に関しては、照れくさいのもあるのかもしれません。
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 「檻に入れること」を選択した最大の理由は自身が盲目になることへの怖れだと思います。そこに、また別の感情として気恥ずかしさや照れくささが合わさって、ますます「表に出すべきじゃないこと」と感じられたのではないかな。



【かなしみを草原へ】

・「悲しむことぐらい自由にさせてもらったっていいんじゃねえか? 俺は知らないけど・・・」ああん? といった調子で。
・草原を自由に駆け回る、という光景について、なんとなく悲しみを感じたこと、あとは先ほど映画を見て、そのシーンで悲しみを感じたこともあるかもしれません。
お前ってそれで幸せか? 本当に幸せになれたのか? 俺にはなんだか悲しい光景に見える。お前はそれで報われるのかな。
・「俺が悲しみを感じるときは・・・」
少し考えたあと、「わからない」と無表情でつぶやきます。しかしそのあと眉根を寄せ、舌打ちをして考え込み、自分が理解されなかったとき、あるいは相手を理解できなかったときだ、といいますね。


 本人がさっぱりした性格のせいか、悲しみに対してはあまり馴染みがないようです。または、悲しみにいちいち敏感でいては生きていけないような環境にいた、とも言えるかも。
 草原を自由に駆け回る、「自由でいる」姿に悲しみを覚えたのは、自由が孤独の裏返しであることを分かっていたからかもしれませんね。少なくとも秩序、規律に組み込まれているうちは、社会から切り離されて孤独にならずに済みますし、庭にくる以前のシドくんが秩序や規律に拘っていた根底にそのような寂しさがあったのだと考えれば、『自由』というものに対して手放しに明るいイメージを抱けないのも頷けます。
 「分かり合えない」ということは、言語を例に挙げると分かりやすいですが、「共通の秩序/規律を持っていない(コードを共有していない)」ということでもあります。『孤独』という概念は、シドくんの中に深く根を張る悲しみの種なのかも。けれど彼は気丈な人ですし、また強がりな面もあり、男らしくいる、ということにこだわりを持っているように思いますから、寂しい自分を人に見せたくはないのでしょうね。
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 なんだかんだ規律や秩序に縋って、守られて生きてきたことによる心理は変わり切ってはいないのかな。自分を客観視することで多少軽減されたとはいえ、恐怖の反射として規律や秩序への盲信があったとすれば、そう簡単に抜け出せるものでもないのかもしれない。

 庭に来て自己を見つめ直したことで、何か一つの概念に執着すること、つまりは盲信、縋るような行為、に対して、少しの反感と警戒心を抱くようになったものの、根底にある不安や寂しさをまだ乗り越え切ってはいないような気がします。
 楽しいことが好きで、自身を害するものとしてのあらゆる形での『暴力』が嫌いで(あるいは、怖くて)。人と一緒にいたいから、自由になるのは少し寂しい、でも寂しい自分がカッコ悪いから人に見せたくはない。強がりで寂しがり屋の青年というのが私の印象です。

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