大人のする事じゃない
待って頂けませんか、とは言ったものの。
正直、どう切り出せばいいのかは微塵も考えていなかった。
そもそも、連絡先も知らないのによくもまぁそんな大口が叩けたものだと過去の自分を蔑みながらも脳みそをフル稼働させて、そういえばあの男個人の連絡先は無理でも勤め先は有名なのだから簡単ではないかと気付いた時に同時にそれも考えておくべきだったのだろう。
プルルルルとありふれた呼び出し音が鼓膜に数回響いたあと、お電話ありがとうございます、と発せられた何とも可愛らしい声に、端的に事の旨と名前を告げれば思いの外(ほか)すんなりと、お繋ぎしますので、と言われたのも要因のひとつかもしれない。
《……お電話、代わりました》
「……っ、」
《…………涙華?》
保留中だと告げる、タイトルは分からずとも絶対どこかで聞いた事のあるはずのそれを聞いていれば、唐突に切り替わった音質。
外面のように張り付けた敬語に返す言葉を詰まらせれば、やんわりと返される疑問符に次は心臓が冷や汗をかく。
「……きゅ、急に電話して、ごめんなさい」
《……別に……構わねぇよ》
「……あの、」
《……ん?》
「いきなり疑ってかかるのは、私も失礼だとは思うの……でも、その、」
《……》
「タイミングが良いというか、良すぎるというか、」
《……勤務先の事か》
「……」
《……結果論で言えば、お前の予想が正解だろうな》
「っ」
とはいえ、電話をかけたのは自分なのだからと振り絞れるほど持ってはいない勇気をかき集めて恐る恐る言葉を吐けば、返されたのは肯定。
ああ、やっぱり、あんただったのか。
ストンと自分の中に落ちてきた納得の文字。
愚かにも片隅では違っていて欲しいと願っていただけに、ひくりと口端が動いた。
「……っ……ん、で、」
《あ?》
「何でっ、私だけならともかく、他の、関係ない人まで巻き込むの……っ、」
《……》
「私に腹いせがしたいなら、私だけにしなさいよ!自分の思い通りにならないからってこんなの、大人のする事じゃない」
《……》
「最低よ」
一度喉を通ったそれらは相手を貶(けな)す為の音となり、止まる術を自(みずか)ら手放す。
ひとつ、またひとつと吐く度に携帯を握る指先の力が強まって、耳元の四角い機械からはミシミシと悲鳴が上がる。
《……最低、か、》
「だって、そうでしょう。現に、矢上さんは、オーナーは、」
《否定はしねぇ。確かに俺は最低な男だ》
「……っ」
《けど、今回の事は、そういうつもりじゃねぇ》
「……ならどういうつもりなの」
《お前の意見を、尊重したまでだ》
「……意見……?尊重……?」
《……生きたいんだろ、》
「……」
《俺の居ない世界を》
「っ」
だから、切らせたんだ。
そう放たれた言葉への返事は、部屋の壁に携帯を投げつける事でしか返せなかった。
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