実感、なくて、


女の勘、とでも言うべきなのか。

マイナス思考から生まれたそれは、面白いくらいに外れた試しがない。


「……っと、ここでいいすか、花」

「ありがとう、槌谷く」

「違うでしょ。恒成(こうせい)っすよ」

「……こ、こう、せい、くん」


検査結果に異常が生じただとかそんな事は微塵もなく、無事に退院出来た今日この頃。

だからこそのやはりとでも言うべきなのか、彼━━橘さんが私の目に写る事はなかった。

退院予定の今日も朝一で看護婦さんがお花を届けてくれた事から多少なり気にかけてくれてはいるのだろうけれど、しかし私の視界には現れてくれなくて、会いたいのにな、なんて気持ちが孵化(ふか)したまま置き去りにされている。

無論その"会いたい"は"お礼が言いたい"とイコールだ。


「涙華さん、涙華さん」

「……何?」

「今日、泊まってもいいっすか」

「……え……と、でも、明日、仕事でしょう?」

「だから、ですよ」

「……」

「時間が許す限り涙華さんと居たいんです。ダメですか?」


甘えるその声に意識を戻せば、思いの外(ほか)近い距離に居た槌谷くん。

思わず身を引けば、彼の眉間がぴくりと動いたのが見えた。


「……ご、めん……私、」

「……」

「何か……実感、なくて、」


OKの返事、彼氏、恋人。

そのワードに抵抗感を覚えてしまうのは何故なのだろうかと考えてみたのだけれど、出てくるのはいつだって、答えではなく橘さんの顔だった。

奇妙な表情と苦悶の表情。

そのふたつしか私は知らないのに、頭の中から彼は消えずにずっとそこに居る。

きっと、お礼さえ言えればすっきりして気にならなくなるのだろうけれど、連絡先を知らない現状を考えると難しい話だ。


「……いえ、」

「……」

「……すみません……俺こそ何か、焦って、」


ふるりと首を横に振りながら小さく笑えば、視界の中の彼もまた小さく笑う。


「……涙華さん、」

「……ん?」

「……捨てないで、下さいね、」

「……え」

「……記憶が……実感がないからって、俺を、」

「……」

「捨てるのだけは、やめて、下さい、」


けれども、その笑みを浮かべたまま彼が紡いだ言葉は、到底笑えるようなものではなかった。
 



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