潔く死んでやる


たかを括っていた。

絶対にするわけない、って。


「跪いて、靴を舐めて」

「……」

「そうしたら、考えてあげる」


産まれからして彼は違っていた。

ご両親が一代で築き上げた地位と権力と富。甘やかされて自由に育ったが故に培われた傲慢さ。

恵まれた体格に端整な顔立ち。天に与えられし明晰な頭脳。プライドだって勿論高い。

そんな男が、考えてあげる、なんて不確かなものの為にドレスコードがあるこのレストランで晒し者になるなんてまずあり得ない。

だからこそ私は気取って足を組んで、爪先を彼に向けれたのだ。


「分かった」

「……え」


なのに、予想に反して彼は立ち上がった。

嘘でしょう?と半信半疑でそれを見ていれば、躊躇う事なく彼は跪き、向けた爪先にソッと手を添える。

そして。


「……っ、やめて、」


近付く、彼の顔。

薄く開かれた唇からちらりと覗いた赤い舌に、思わず声を荒げ足を引いた。


途端に、集う視線。

しかしそれらを気にする余裕など、今の私にはなかった。


「……馬鹿じゃないの……そんな事で……全部無かった事に出来ると……本気で思ってるの?」

「いや、思ってねぇ」

「……」

「出来るなら、してぇよ。無かった事に。でもしようとは思ってねぇ」

「……」

「許してもらえるとも……思ってねぇ」

「当たり前でしょ。許さなきゃ死ぬって言われても許さない。あんたを許して生きるぐらいなら潔く死んでやる」


ざわりと止まぬ雑音の中、お客様、と呼び掛ける声が聞こえてゆっくりと息を吐く。

騒ぎを聞き付けて飛んできたであろうボーイは私と彼を交互に見た上で、再度私に視線を向けた。


「あの、お客様」

「ええ。ごめんなさい。帰るわ」


おそらく、彼に話しかけるのは得策ではないと踏んでの事だろう。

勿論それは正解だ。彼に話しかけたところで、無視をされるのは目に見えている。


「涙華(るか)、まだ帰るな」

「……」

「……頼む、」


肩から少しズレたショールを羽織り直し、クレジットカードをボーイに渡す。


「嫌よ。無理矢理連れて来られたから、仕方なくここに座ってあなたの話を聞いたけれど、どうせ時間の無駄だもの」


ああ、給料とんだな。

なんて事を思いながら、かたりと席を立つ。


「……涙華」

「馴れ馴れしく名前で呼ばないで」


奢られたという事実を作りたくないが為の犠牲だが、仕方ないとは言えずさらに増す怒り。


「さようなら」


再び、オロオロしながら参上したボーイからクレジットカードと支払明細を半ば引ったくるようにして、彼に背を向けた。
 



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