※諸葛亮×月英 寒い、と感じたのは気のせいではなかった様だ。 諸葛亮はゆっくりと閉じていた瞼を開き、しんしんと降る雪に顔をしかめた。 ―――寒い冬の朝は嫌いだった。 なにより、雪景色はあの方を思い出させる。 誓ったままの忠誠が宙に浮かんだままになってしまったこの現状を、しかと自覚してしまうからだった。 「……、」 月英、と愛しい人の名前を呼ぼうとして、諸葛亮ははた、と息を詰めた。 ――うまく舌が回らないのである。 乾いた下唇が痛く、空回ったままの妻の名前はやけに虚しく響いた。 これまでか、と諸葛亮は重たい瞼を庭先へ向けた。 草木が白色に浸食されている様は、まるで自分のようだ、と諸葛亮は苦笑する。 自分の身体が思うように動かないのも、彼は感付いていた。 それを愛する人にも、大切な弟子にも、国にも言うつもりはなかった。 特段、彼は心配なんてされたくもなかったし、例え自分が病だと知られたら、仕事を取り上げられてしまうのは目に見えていた。 それが違うのならば、弟子が「ご自愛を!」と泣きそうになりながら、自分の仕事に加え、諸葛亮の仕事を持っていくに違いない(今度こそ衰微するのは弟子なのだと、誰が気付くだろうか)。 それだけは、耐え難いことだった。 自分が蜀を支える手段を取り上げられてしまうのは、諸葛亮の矜持が許さなかったのである。 「孔明様」 はあ、とため息をついた後、今しがた考えていた妻の声が聞こえて、諸葛亮は驚いたように目を開いた。 慌てて横を振り返ると、 毛布を持った妻がそこに居た。 諸葛亮が呆けている間に、彼女はさっと毛布をかけた。 じんわりと身体が暖まっていくのを感じる。その心地よさに目を閉じた後、諸葛亮は再び月英を視界におさめた。 「…何故、私の元へ」 「お呼びになったでしょう?」 確認するように問いかければ、月英はさも当たり前だと言わんばかりに即答する。 その口元には、柔らかな笑みが浮かんでいた。 はっと目を丸くする諸葛亮は、やがて常時と同じような――否、常時より柔らかな笑みを彼は口元に称え始めた。 目を細め、毛布の柔らかな暖かさをその身に感じる。月英の香の匂いだろうか、胸の中に見知った柔らかな暖かさが広がり、諸葛亮は小さく息を吐く。 先程とはうって違うため息の意味は、諸葛亮にも月英にも柔らかなものをもたらした。 「月英、と。迷子の稚児のようにお呼びになったような、気がしたのですよ」 悪戯に微笑んだ月英は、小さく肩を竦める。 「声に出なかったのにも関わらず?」と同じように諸葛亮は意地悪に聞くと、それもあっさりと月英にかわされてしまった。 「意志疎通の方法は、声だけではないのですよ」 「え?」 流石に、この時ばかりは臥龍と謳われる諸葛亮でも理解出来なかった。 文書だとしても相手が居なければ意味は成さないし、それに今自分が置かれている現状とは少し違う気がして、諸葛亮は肩を竦める。 あたかも降参、と言わんばかりにため息をついて、彼は隣に立つ月英へと視線を向けた。 「本当に愛しく、信頼しているお方の心は、手に取るように分かるのですよ。愛ゆえ、です」 「まったく…貴女は、私には過ぎたる妻かも知れませんね」 予想外な答えに、諸葛亮はくすりと笑いをこぼす。 発明家という、どちらかと言えば現実的な見方をするはずの立場にいるであろう彼女から、そんな曖昧な言葉が出るとは思っていなかった。 それにも加えて、妻からの真っ直ぐな信頼と愛が、くすぐったくとも嬉しくもあった。 「おや。私は孔明様でないと妻なんて務まらない女ですよ」 「ふふ…つまり?」 「あら、意地悪なお方」 貴女の口から、聞きたい。 そう甘く囁いてみると、彼女はポッと頬を可愛らしく桃色に染め上げた。それを愛しく、思う。 「私は、孔明様を愛しております」 それでもはっきりと告げる、彼女の芯の強さも愛しかった。 腰掛けから立ち上がった諸葛亮は、彼女を引き寄せて毛布で包み込む。 「私も、貴女が妻でよかった。…愛してますよ」 慣れない愛の言葉は些か不器用に響いたが、愛しい妻が嬉しそうに微笑んだので、諸葛亮はひとまず安心する。 ―――寒いでしょう。と月英が諸葛亮と共に毛布にくるまるまで、後、数秒。 雪、とけて |