船へ


真っ黒いフード付きのローブに身を包んだ少年が、一本の蝋燭のみの灯りを頼りに、暗い地下室を歩いている。
彼の瞳には、生きている者特有の光がない。
朱が混じった黒い瞳はどこまでも淀んでいて、火の明かりさえ呑み込もうとしているかのようだ。
少年はさらに奥へと続く、長い階段を躊躇わず下りていく。
少し先も見えない。奈落の底。
誰もいない。光もない。
永遠に続くかと思われた闇の世界に、ふと、淡い光が灯った。


──────コンニチハ。ハジメマシテ。





「…………ミク……ル…………………………、んっ?」
自分の声で目を覚ましたカリオンは、急いで時間を確認しようと時計を探したが、そういえば持ってきていなかったことを思い出した。
慌てて飛び起きる。
「やっべ!てか何時だよ、姫さんがこの町にくるのって!なんも肝心なこと聞いてないんですけど!」
とりあえず、キッチンで顔を洗ってから家を飛び出す。外は昨日よりも人通りが多いような気がした。みんな、姫を一目見ようと考えているらしい。同じ方向へ向かって歩いている。
てことは、まだ通ってないんだな。
そう判断し、カリオンは人々の後についていくことにした。
今日もポートネリアは天気がいい。真っ青な空に白い雲がぷかぷかと人の気も知らずに暢気に浮いている。
予想どおり、人々は大通りに集まっていた。パン屋とカリオンが一泊した家の、ちょうど中間地点を走る広い道だ。通常の大きさの馬車なら、三台並走できるほどの幅がある。
「姫さんがこうやって人前に現れるなんて何年ぶりかねえ」
「死ぬ前にお目にかかれて光栄だよ」
「これから隣国ペルモリーニャでお見合いだろ?」
「まだ十四歳なのに、王族は大変さねえ」
「幸せになってくれりゃあなんでもいいがなあ」
ずいぶんと慕われている。
みんな、ごめんなさい。これから俺は姫さんを誘拐します。
目を閉じて天を仰ぎながら、カリオンは内心で謝罪しつつ、姫が乗る馬車がくるのを待つ。
「おお、いらっしゃったぞ!」
蹄の音が聞こえてきた頃、興奮気味に誰かが言った。
護衛の者が六人、先頭を歩き、その後ろに姫が乗っているであろう豪奢な馬車がある。
来てしまった。やるしかない。
人混みを縫うように、カリオンは動き出す。先頭に出る。
姫様、万歳!
誰かが叫ぶ。応えるように、護衛が手をあげる。
そのわずかな隙を、カリオンは見逃さなかった。
気配を殺し、駆け出す。
接近してようやく、護衛はカリオンの存在に気付いたようだ。
剣を抜かれる前に、音もなく背後に回り込み、首に手刀を落とす。
「く、曲者!」
倒れた護衛を地面に寝かせ、カリオンは苦笑した。
「はは……本当に、言い訳のしようもないよな」
残り五人の護衛も、同じ様に素早く背後に回り込んで昏倒させていく。
どよめく群衆。あっという間の出来事に、誰一人として反応できずにいる。
カリオンは馬車を開け放つ。
薄紫色の長い髪の、可憐な少女の大きな菫色の瞳がこちらを見ている。
「あー、ええと……魔女から話は聞いてる?」
こくり。姫は頷き、小さな口を開く。
「護衛の者は?」
声まで可憐だな、なんて思いながら、カリオンは笑った。
「ちょっと寝てもらってる。大丈夫、怪我はない」
安堵したように、姫は吐息をもらした。
「“星降りの島”に行きたいんだろ、俺が連れていく。知らない男なんて信用できないかもしれないけどさ……ついてきてくれる?」
差し出した手に、姫は迷わず掴まった。小さくて、やわらかい手だ。
はじめての感触に戸惑いながら、カリオンはそっと力をこめて姫を立たせ、抱き上げる。
「走るぞ!きちんと掴まってな!」
細い腕が首の後ろに回されたのを確認して、カリオンは慌てはじめた群衆を横目に走り出す。
「ちょっとあんた、なにしてんだい!」
「ごめん!ちゃんと返すから!」
誰かは確認できなかったが、もしかしたらパン屋の女性の声だったかもしれない。
服を掴んで止めようとする人々をかわし、カリオンは港へ急ぐ。
「おい、とまれ!」
「追え、追え!姫様を取り戻せ!」
気絶している護衛の代わりに、町の人々が追いかけてくる。
「カリオン、こっちこっち!」
港に着くと、見知らぬ少女がタラップの上でこちらに向かって一生懸命に手を振っているのが見えた。
肩にかかるくらいの長さの、暗緑色の髪の少女に導かれるまま、カリオンは船の中へ駆け込む。少女は直ぐ様タラップを外した。
「ラド!いいよ!」
色で例えるとアクアマリンか透明だと思うほど、張り上げた彼女の声は透き通っていた。
船が出る。扉を閉めた少女が、振り返ってにこりと微笑んだ。
水の精霊がいればこんな顔だろうな、とカリオンは思う。
「はじめまして。テピっていうの」
「えっ、あ、ああ……俺はカリオン。カリオン・ロンギホルト」
テピと名乗った少女は、カリオンから見て左側の顔半分を長い前髪で隠していた。見ることのできる琥珀色の瞳は真ん丸で大きい。それに、臍がちらりと見える白い服の胸部の膨らみがものすごい。谷間が見える。大きい。
こほん、と咳払いをして、カリオンは抱き上げたままの少女を見上げる。
「こっちはこの国の姫さん。そういえば名前を聞いてなかったな」
テピは笑みを深めて「はじめまして、テピだよ」と姫にも挨拶をした。
ラドの船に乗っているということは、彼女は協力者なのだろうけれど、一国の姫を誘拐しているカリオンを前にして、微塵も警戒した様子がないというのはどうなのだろう。カリオンは心配になる。テピはいわゆる天然なのかもしれない。
「……ベラトリアス」
ぽつりと呟いたのは姫だ。彼女の名前のようだ。
「へえ、ベラトリアスっていうんだな」
「じゃあベラちゃんだね」
「……好きに呼んでいい」
人見知りなのだろうか。ベラトリアスはカリオンの肩に顔を押し付けて表情を隠してしまった。
美少女に頼られて悪い気はせず、口元が弛んでしまうのを押さえきれないでいると、テピが上へと続く階段を指差した。
「とりあえず、船長のところにいこっか」
先導する彼女の後に続きながら、カリオンは抱き抱えたままのベラトリアスに声をかける。
「どうする? このまま運ぼうか?」
彼女が身に纏っているドレスは裾が長いため、汚れてしまうかもしれないと危惧して訊ねるが、ベラトリアスは首を横に振った。
「……降りる」
降ろすと、彼女はカリオンの背後に回り、服の裾をちょこんと掴んできた。
小動物みたいだな、と思いながら、カリオンは階段をゆっくり上った。


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