「じゃあ、名前先輩もいつか消えちゃうの?」


 せっかく泣きやんだのに、今にも泣きそうな顔をして、私の忍装束をぎゅう、と小さな手が白くなるほど握り締めているきりに、私は「どうだろうね」と曖昧に答えた。そう答えることしかできなかった。私の忍装束に顔を埋めて、ぐすぐすと泣き始めたきりの小さな身体を抱き締めた。




 学園の門の前で倒れていた私を見つけたのは、土井先生だった。あちこちを火傷し、か細い息をする私を親切にも拾い上げ、丁寧に手当をしてくれたのも土井先生だった。孤児か何かだと思ったのだろう、この学園の人間はみんながみんな私を可愛がり、面倒を見てくれた。でもこれは偽りだと、私は知っていた。そういう「設定」なのだ。始めから、全部。

 日本には古来から切腹や心中といった自殺を「美」とする独特の文化があった。時代は進むにつれてその文化も薄れていったが、時代は繰り返されるとは良くいったものだ。いつしか殺人や事故での死を自殺が上回り、再び自殺を「美」と称える文化が蔓延し始めた。その現状を打破しようと警察や政府、専門家がこぞって頭を抱えていた。そんな中、自殺者の多くは「孤独」を理由に「死」を選ぶことに着目した学者が、「自殺志願者」を、誰にも嫌われず、無条件で愛され、「孤独」を感じない「世界」に一時的に転送し、少しでも「死」から遠ざけよう、と言いだした。最初は誰もが、そんなことをしても意味はない、馬鹿げている、と口にしたが、実際は違った。結果、自殺者が減ったのだ。マスコミは大げさに取り上げ、開発を担当した者たちはまるでヒーローのように扱われた。この開発者のひとりが、私の、いや、おれの父親だった。
 しかし、父は言った。このシステムは一時的に「死」から離させることはできても、「自殺志願者」を救うことはできない、と。だから開発者は、人々がより「死」に近いところで生き、「死」から逃れるために努力している「世界」を選んだ。「死」は決して美しいものではないことを知らせるために。彼らが死に物狂いで生きることを選ぶように。そもそも「生」や「死」は選択するものではないことを知れるように、と。

 おれはその日、父に連れられてシステムの見学に来ていた。制服のポケットに両手をつっこんで、ガラス越しの「自殺志願者」を見下ろした。カプセルのようなものに入れられ、何人も並んでいる。こうやって意識だけを奪うのだという。一種の催眠にも似ている。気味が悪い。そう思いながら、新しく部屋に入ってきた「自殺志願者」を見ていると、そいつが突然服の中から拳銃を取り出し、いくつも並んだカプセルに向かって発砲した。その途端、カプセルは次々に破裂し、吹き飛んだ。それを最期に、「おれ」の記憶はない。
 次に目覚めたとき、自分が生きてきた「世界」とは違う「世界」に来てしまったことはすぐに気付いた。もともと繋がっていない「世界」と「世界」をこじ開け、繋ぎ合わせて、無理やり繋ぎ合わせているのだから、システムは時々「飛ぶ」のだ。こじ開けた「世界」の狭間に落ちて、予定していなかった「世界」に転送されてしまうことを「飛ぶ」と父は呼んでいた。だけど、おれが「飛んで」きたとき、何故かこっちの「世界」の服を着て、十歳ほどの小さな身体になり、名前が「名字名前」になっていた。つまり、おれはシステム異常で転送されたのではなく、「生まれ変わってしまった」のだ。こうして何もかもが狂ったくせに、「誰にでも愛される」という「設定」だけは残っていたが、時間が経つにつれてその「設定」は薄れ、おれに対して嫌悪を抱く者が現れたとき、おれはやっとここで生きることを受け入れた。大切なものをつくる覚悟ができた。「設定」が消えてからの方が生きやすいなんて。
 何もかも、おかしな話だ。




「名前先輩、泣いてる…?」


 私の震える肩に気付いたきりが、顔を上げた。その小さな手で私の頬を包んで、次々に溢れてくる涙を掬っていく。歪む視界の中できりがまた顔をくしゃりと歪めて、私の頭を抱えるように胸元に引き寄せた。きりの心臓の音が聞こえて、私はさらに涙が溢れた。彼らは生きている。命を尊び、生を喜び、命を奪い、死を忌み、今をまさに生きているのだ。
 私はもうきっとあの「世界」に戻ることはできないだろう。だけどそれが絶対だとは言いきれない。綾さんがこの「世界」に来たということは、またあのシステムが使われた、ということを意味する。だけど、綾さんは「誰にでも愛された」わけではなかった。「設定」が働いていたのは上級生の一部のみ。システムの「設定」が変わったのか、それとも綾さんも「飛ばされて」きたのか。でも三か月という「期限」は決まっていたのだから、これもおかしな話だ。綾さんは私がいなければきっと誰かに殺されていただろうに。
 私はそっと目を閉じて、記憶の端っこにいる「おれ」に蓋をした。「私」は、ここがいいのだ。お前のことは、もう忘れるよ。


「名前先輩、大好き」
「私も大好きだよ、ありがとう」


 ほら、あたたかい。









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ややこしい設定ですみません。ご理解いただければ幸いです。