誰も利用者のいない図書室。その奥で向かい合うのは、中在家先輩と名前先輩。


「お尋ねしたいことがあります、中在家先輩」


 名前先輩が穏やかに微笑む。中在家先輩はいつもと同じ無表情で名前先輩を見つめていた。それを棚の隙間からはらはらと見守るのは、おれたち図書委員会の面々。図書室には、名前先輩の声と中在家先輩がもそもそ話す声だけが響く。


「中在家先輩は、いつからお気づきになられたのでしょうか」
「…何のことだ」
「おや、惚けるおつもりですか。ご自分が一等わかっていらっしゃるでしょうに」


 にこにこといつもと変わらない笑顔で挑発的な言葉を投げつける名前先輩に、思わず「ばっ…!」と声が漏れるおれの口を能勢先輩が塞ぐ。怪士丸がおろおろとしながら、口の前に人差し指を立てている。能勢先輩の上にころんと転がった体を起こし、再び名前先輩と中在家先輩を見ると、さっきと何も変わらず、じっと向かい合ったままだ。
 名前先輩が図書室にやってきて、「中在家先輩、いる?」とおれに声をかけたのは、中在家先輩が突然委員会にやってきて、おれたちに頭を下げたその二日後のことだった。正直、中在家先輩が帰ってきてくれて嬉しいはずなのに、怒りと困惑がごちゃまぜになってしまったけど、やっぱり中在家先輩が帰ってきてくれたことが嬉しくて、おれたちは笑って中在家先輩を許した。そしたら嬉しそうにかすかに微笑んだ中在家先輩を見て、ひとり足りないことに目をつぶって、笑ったんだ。
 と、まあ、そんな話はよくて、この距離じゃあ中在家先輩の声があんまり聞こえない。こそこそと近づくおれを引き止めようとする能勢先輩の手を振りほどき、おれは二人に一番近い棚の後ろまで近付いた。


「…きっかけは、ちょうど一か月前に行われた実地任務だった。怪我をするような任務じゃなかったはずなのに、私たちは怪我を追って帰ってきたこともそうだが、なにより不思議だったのは、あの日から文次郎が私たちと距離を置くようになったことだ」
「………」
「ふと気づけば綾を取り巻く顔ぶれが減り、その理由を知るために私も一度距離を置いてみることにしたんだ。そのとき初めて、気付いた。私は、今まで何をしていたのか、と」
「…それは、良かったです」
「…名字にはいくら謝罪しても足りないくらい迷惑をかけた。本当にすまない」
「いえ、私は少しの手助けしかしていませんから」


 それに、中在家先輩なら、ご自分で気づいてくださると思っていましたし。
 軽く頭を下げる中在家先輩に名前先輩が困ったように笑う。さっきまでのとげとげとした雰囲気は和らぎ、二人は向かい合ったまま、話題は次へと移り変わる。一息ついた俺の方をちらりと見た名前先輩に、どきっ、とする。どうせ気付かれていることは知っていたけど、名前先輩は何も言わないから俺はそのまま話を盗み聞きすることにした。


「さて、話は変わりますが、中在家先輩に少し手を貸してほしいことがあるのですが」
「…なんだ」
「予算会議が五日後に迫っていることはご存知でしょうか」
「ああ。しかし、ほとんどの委員会は委員長どころか上級生もいない状態で、何をするつもりだ、名字」
「そろそろ、現の夢から目を覚ましていただこうと思いまして」


 そう言って、にたり、と微笑んだ名前先輩の楽しそうな顔といったら。ぞぞっ、と背中に悪寒が走って、滅多に怒らない人が怒ると怖い、というのは本当だなあ、と思っていると、名前先輩が俺の名前を呼んだ。おそるそおる棚の後ろから顔を出せば、名前先輩が手招きしている。中在家先輩もいつもの無表情でこちらを見ていて、俺は渋々と名前先輩のところへ出ていく。ふわり、と髪を撫でられて、へらっと笑う。名前先輩は俺と同じように能勢先輩と怪士丸の名を呼んで、五人が円を描いて座り、お互いの顔を見回す。口を開いたのは、真面目な顔をした名前先輩。


「これから会計、保健、そして図書の三つの委員会で作戦会議を開きたいと思います」
「これから、ですか?」
「うん。今まで潮江先輩と善法寺先輩を中心に話を進めてきましたが、あの二人、考え方が根本から違うので、話がまったくまとまりません。そこで、中在家先輩には仲裁役を担っていただきたいのです」
「…わかった」
「きりにはたくさんのお金の計算をさせてあげるからね」
「お金!」


 ふふ、と笑う名前先輩の腕に抱きついて、顔を見合わせて二人で笑うと、中在家先輩が「図書室では静かに」ともそもそ呟いた。それにまた、おれたちは笑った。








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