先日の実地任務で負った怪我が、石に躓いて転んだせいで開いてしまった。医務室に行くと乱太郎がいて、治療をしてもらっている。僕の包帯をはずしてくれている乱太郎と僕の間には気まずい沈黙が流れていた。いつもにこにこと僕の名前を呼んでくれていたのに、今目の前にいる乱太郎は必要最低限のことしか話さないし、目も、合わせてくれない。酷く悲しい気持ちになって、何か話しかけようとしても、僕の唇はぐっと噤んだまま、動かない。そうしている間に包帯をはずし終わった乱太郎が、その下にあった傷に顔をしかめた。そして、悲しそうに歪む。嗚呼、今までの僕なら、どうしていただろう。そう考えた瞬間、医務室の戸が開いて、名前が顔を出した。ぱっ、と顔を上げた乱太郎の表情が一瞬にして明るいものに変わった。


「乱太郎、留守番してくれてありがとう。先輩の治療は私がするから、乱太郎はトイペの補充に行ってきてくれる?」
「はい、わかりました」
「ありがとう、よろしくね」


 ふわり、と笑って、乱太郎の頭を撫でる名前の姿を、僕はただ見ているだけだった。乱太郎が座っていたところに名前が座り、僕にも笑顔を向ける名前に、ぞくっ、と悪寒が走る。いつだったか、任務中の名前に出会ったときの感覚に似ていた。殺気なんて微塵も感じないのに、どうして。
 失礼します、と僕の腕を取られ、名前の手の温かさにふと緊張が解ける。実地任務の後に治療してもらった時は、無表情で淡々と治療をされたから、何も言えなかった。随分と前になってしまったけど、名前の傷のことが気にはなっていたんだ。今なら聞けるかもしれない。


「あ、えと、名前?」
「どうかしましたか」
「怪我の、ことなんだけど」
「塞がるまでもう少し時間がかかりそうです。無理はしないでくださいね」
「あ、僕のことじゃなくて、その、名前の…」
「嗚呼、これのことですか」


 名前は何でもないような顔をして、脇腹を軽く叩いた。どきっ、とした僕に気付いたのか、名前はおかしそうに笑った。そして、すっと目を細め、僕が見たことのない、不敵な笑みを浮かべた。さっきの悪寒が蘇る。空気が、一瞬で変わった。


「そんなの、いつの話だと思っているのですか」
「っ、」
「怪我なら新野先生と保健委員会の後輩たちのおかげですっかりよくなりました。貴方は知らないでしょうけど」
「さ、最初の治療は、僕が、」
「へぇ、そうだったんですか。そんなこと、誰も教えてくださらなかったので知りませんでした」
「…名前、ごめん」
「それは、何に対する謝罪なのでしょうか。怪我人の私を放ったこと?それとも、保健委員長としての責任を放棄して、私たちに余計な負担をかけたこと?」


 にっこりと頬笑んでいるはずなのに、そこにいつもの優しさはなくて、思わず名前に掴まれていた腕を引けば、いとも簡単に名前の手は離れる。そして、名前の表情が消える。いつも、いつも笑っていてくれたのに、僕がどんなに迷惑をかけようと、笑って許してくれていたはずなのに、どうして、どうしてどうしてどうして、?名前の言葉が頭の中でぐるぐると渦を巻く。怪我人の名前を放って、保健委員長としての責任を放棄して、名前たちに余計な負担をかけて、僕は、何をしていたんだっけ。
 動揺する僕を見て、名前は悲しそうに視線を下げた。どうして、名前がそんな顔をするの。どうして、いつもみたいに笑ってくれないの。どうして、名前を呼んでくれないの。ねえ、名前、


「…名前、どうしたら、いつもみたいに笑ってくれる?名前を呼んでくれる?僕にできることなら、何でもするから」
「なら、ひとつだけ、お願いがあります」


 名前がふ、と笑う。今までのような感情のこもっていないものではなく、いつも見ていた優しいそれで、思わず視界が滲んだ。


「調合の仕方がわからない薬があるのです。一緒に、作ってくれませんか、善法寺先輩」


 ああ、どうして僕はこんな居心地の良い場所を離れたのだろう。溢れた涙を掬ってくれる名前の手を握って、僕は何度も何度も謝った。









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