実地任務から帰って来た俺たちは、ぼろぼろだった。今回の任務の内容は、誰もがかすり傷程度で帰ってこれるような簡単な任務だと、高をくくっていたのがこの結果につながっている。油断した。そうとしか言いようがない。俺たちが、怪我を負って帰ってくるなんて。そうでなければあり得ない。
 そう自分に言い聞かせていると、綾が突然俺の顔を覗き込んできた。その動作の愛らしさに、思わず身体を仰け反らせ、怪我を負っている腕を床についてしまった。痺れるような痛みが脳天を突く。しかし、綾の手前、何でもないように振る舞った。


「文次郎くん、大丈夫?」
「ああ、すまない、綾。約束守れなかったな」
「ううん、みんなが生きて帰ってきてくれたなら、わたしは嬉しいよ」
「綾…」
「お邪魔してしまって申し訳ないのですが、潮江先輩、治療を始めてもいいでしょうか」
「…頼む」


 背後に立った名字の声に綾が振り返り、ふわりと笑った。そして、ついさっきまで俺の名前を呼んでいたその口で、どこか安堵の色を含んだ声で名字の名前を呼ぶ。たったそれだけのこと。しかし、俺は思わず名字を睨みつけてしまった。名字はまったく気にしていない様子で頬笑み、手に持っていた桶を俺の脇に置いて、その横に腰を下ろした。入れ替わるように綾が腰を上げ、名字の肩に手を置く。


「名前くん、文次郎くんをよろしくね。わたし、他のみんなの様子見てくるから」
「ありがとうございました。しかし、他の先輩方は保健委員会の後輩たちが見ていますので、綾さんはそろそろ食堂の仕事に戻った方がよろしいかと、」
「おい、名字!」
「潮江先輩、無理に力を入れてしまうと、止血の意味がありません。腕を離してください」


 酷く落ち着いた声で諌められ、俺は小さく舌打ちをして、名字の腕から手を離した。おろおろとうろたえる綾に名字はすっと目を細め、さっき俺を諌めたときと同じ冷たい声を向ける。ぐるぐると感情が蠢くが、俺は何も言えなかった。名字がまとう空気が以前のそれとは違い、鋭く突き刺さるものだったから、怖気ついていたのかもしれない。とにかく、今、俺たちがいるこの治療室を牛耳っているのが名字であることは確かだった。


「綾さん、こちらは心配ありません。安心してご自分の、本来の仕事に戻ってください」
「…う、ん、わかった。仕事が終わったら、名前くんのお手伝いしに来ても、いい?」
「もちろんです。お待ちしています」


 綾がほっ、と息を吐いて、嬉しそうに微笑む。「また後でね!」と軽く手を振って医務室を出ていく綾の後ろ姿を眺め、その気配が遠ざかっていくのを確認した後、俺は傷の軽い方の腕で、名字の胸ぐらを掴んで引き寄せた。間近で覗き込んだ名字の目は鋭く、感情の見えない、冷たい色をしていた。それに比べて自分自身の酷く淀んだ感情は、きっと醜い色をしていることだろう。そんなことはどうでもいい。こいつは、綾を厄介者のように扱ったのだ。天女である、綾を。


「名字、お前、綾に対して随分な態度を取るじゃねえか」
「当然のことを言ったまでです。綾さんには、やらなくてはならない仕事がある。だったら、手の足りているこちらより、本来の仕事に戻るべきでしょう。私は何かを間違っているでしょうか」
「綾は、天女だぞ…!」
「でも、今はただの事務員です」
「名字、てめえっ!」


 名字の顔面を狙って降り下ろした拳は、ぱしっ、と弾かれ、その手が俺の首を掴み、後ろに思いっきり押し倒される。二の腕を膝で押さえられ、首元に手を添え、もう一方の手には苦無が握られている。ひやり、と冷たい感覚に、息がつまった。真っ直ぐに向けられる殺気が、空気を震わせている。身体を動かそうにも、上手く力が入らない。そんな、まさか。二つも下の奴に押さえこまれるなんて、あり得ない、あり得て、たまるか。
 ふ、と空気が緩み、名字が俺の上から退ける。仰向けに倒れたままの俺の横で、名字は手ぬぐいをさっきの桶に張られた水に付ける。きつく絞った手ぬぐいを腕の傷に当てた名字を見上げれば、悲しそうに目を細めていた。俺の傷をなぞる指先は、酷く優しい。


「…申し訳ありませんでした」
「いや、俺も、悪かった」


 身体を起こせば、名字の頭は自分の視線よりも下にあった。こいつ、こんなに小さかっただろうか。そういえば、こいつをまともに見たのも久々のような気がする。以前は鍛錬を一緒にしていたのに、ここ最近は綾の心配そうな顔を見たくなくて、夜はきちんと寝るようにしていたから、鍛錬もしていない。…、何故、だ。誰よりも強くなること以外に、俺の目的はなかったはずだろう。なのに、最近鍛錬をしていないだと?そんなわけ、あるか。綾が心配そうにするから?心配なら、以前から伊作たちにされ続けてきた。なのに、今さら、何を、


「潮江先輩、」
「っ、なんだ」
「今回の任務のこと、先生方に聞きました」
「…そうか」
「何故、ですか。何故、貴方たちがいて任務失敗なんて、信じられません」
「…油断、していた」
「油断なんて、潮江先輩らしくもない。私は、失望しました」


 そう言って静かに目を伏せた名字に、俺は何も言い返せなかった。









120519

潮江とか、無茶したわ。伊作にしとけばよかったかもしれない。
二人がいるのは医務室ではなく、どっかの空き部屋です。大人数来られると困るからってことで空き部屋を治療室にしています。ついたて越しにみんないる、はず。たぶん。