ぐっすりと眠っている三郎を起こすか起こさないかで散々迷って、結局二人で寝坊した僕たちは朝食の時間よりも随分遅れて食堂にやってきた。食べ盛りの僕たちにとって朝食抜きなんてありえない、とは三郎の言い分。そんな言いわけをわざわざしなくても、食堂にはきっと綾ちゃんがいるから、僕は悩まずに授業よりも朝食を選ぶのに。
 人気のない食堂には名字がいて、朝食を前にして机に座っていた。ぼんやりとどこかを見つめている。名字は寝坊魔で、よく授業に遅刻してくると聞いたことがあるから、今日もきっとそうなんだと思う。大怪我をして帰ってきたと学園長から報告があった日から随分と月日が流れていて、もうすっかり元気になっている様子の名字に安堵した。僕たちが食堂に足を踏み入れると、「おや、おはようございます、不破先輩、鉢屋先輩」と表情を緩めた名字に私たちも朝の挨拶を返した。すると、食堂の奥から綾ちゃんが出てきて、私たちを見て驚いたような表情を浮かべる。手には今日の朝食が乗ったお盆を持っていた。どうやら綾ちゃんもこれから朝食らしい。僕は思わず顔が緩む。


「雷蔵くんと三郎くんも寝坊?珍しいねー」
「雷蔵の優しさが裏目に出たな」
「本当にごめんね、三郎」
「雷蔵は悪くないよ。綾、悪いけど、私と雷蔵の分ももらえるか」
「うん!あり合わせになっちゃうけど、あ、名前くん待っててくれたの?先に食べててよかったのに、ごめんね」
「私が勝手に待ってただけですから。それに、食事は誰かと一緒のほうがおいしいでしょう?」


 名字の向かいの席にお盆を置いた綾ちゃんに名字がふわりとが笑いかけると、「そうだね。待っててくれてありがとう」と綾ちゃんも嬉しそうに笑う。それにもやもやとした感情が浮かんできて、僕は綾ちゃんと名字の間に入り込むように綾ちゃんに話しかける。三郎も同じことを考えていたようで、名字に何やら話しかけていた。嫉妬深い三郎のことだ、きっと牽制しているのだろう。綾ちゃんは天から授かったとても素晴らしい方。本当なら名前で呼ぶことさえ無礼になるのだけど、綾ちゃんが天女様と呼ばれることを嫌うから、僕たちと友達になりたいと言ってくれたから、僕たちはこうして仲良く友達をしている。だけど僕が、いや、僕たちが綾ちゃんに抱く感情は確かに色恋のそれで、全員が全員を牽制し合っている状態がずっと続いている。綾ちゃんが自分のものにならないのなら、せめて誰のものにもならないように、と。今は六年生の先輩方が一番長い時間を綾ちゃんと過ごしているように見えるけど僕たちは知っている。綾ちゃんが自分から頼るのは、この名字名前、ただ一人であることを。
 綾ちゃんが食堂の奥で僕たちの朝食を準備してくれている間に、名字の隣に僕が、その向かいに三郎が座る。名字は律義に綾ちゃんを待っていて、いまだに食事に手はつけていない。睨みつける三郎に対して、依然と変わらない飄々とした笑顔を浮かべている。


「今日は一段と不破先輩のお顔をお借りしているとは思えないお顔をしていらっしゃいますね、鉢屋先輩」
「今だけだ。名字、お前いつも綾と朝食を食ってるのか」
「いいえ。普段ならこの時間はおばちゃんしかいませんから、寝坊した私が綾さんに会うことはありません。ちなみにおばちゃんは町に出る用があって、綾さんは皿洗いを任されたそうですよ」
「まさか綾に皿洗いをさせたわけじゃないだろうな?」
「もちろん手伝わせていただきましたとも。綾さんもおばちゃんに任された手前、私に全てさせてくれたわけではありませんが」
「じゃあ、今日は偶然一緒に朝食を食べているの?」
「はい。今日は朝食後にいつも綾さんと行動を共にしている六年生の先輩方も任務で昨夜からいませんからね」


 ぴりぴりとした空気の中、ふわりふわりと笑みを絶やさない名字がふと視線を移し、突然立ちあがる。その先には僕と三郎の分の朝食をお盆に並べている綾ちゃんがいて、思わず感心してしまった。昔からやたらと気の利く子だとは思っていたけど、まさかここまでだとは思わなかった。悔しそうに表情を歪めた三郎がその後を追って、名字を押しやり、綾ちゃんの手伝いをする。花が咲いたように可愛らしい笑顔でお礼を言われて素直に照れている三郎の横をすり抜け、僕と三郎の席に朝食のお盆を並べる名字の態度は、少し新鮮だった。最近見る人はみんな僕と同じで綾ちゃんを想っていて、いかに自分をよく見せようかと必死な人ばかりだったから。まだ色恋ということに疎い下級生がこの態度なら頷けるのだけど、名字は四年生で、同い年の平や綾部、田村もみんな、綾ちゃんに色恋の感情を抱いているというのに。大人びて見えていたのだけど、意外とそうではないということなのだろうか。いや、名字に限ってそんなことあり得ないと思うのだけど。今思えば、名字が自ら綾ちゃんに近づいているところを見たことがない気がする。綾ちゃんに連れられている名字は見たことあるけど。じゃあどうして綾ちゃんは名字を頼るのだろう。そもそもいつ知り合ったの。いつ仲良くなったの。これは、綾ちゃんに聞いてもいいことなの。


「どうしたの、雷蔵くん。早く食べないと冷めちゃうよ」
「え、あ、うん、いただきます」


 もやもやとしていた頭は綾ちゃんの笑顔を見た途端に晴れた。名字がどうやって綾ちゃんと知り合ったとか、どうして名字にしか頼らないのかとか、そんなことはどうでもいいや。何にせよ、綾ちゃんのこの可愛さに気付かないなんて、もったいないよね。










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