名前先輩は用具委員会に入るべきだったんじゃないかと思ってしまうくらい手先が器用だった。得意げに笑う名前先輩を褒めちぎっている一年生たちは、自分たちの仕事をすっかり忘れている。俺は思わずため息を吐くと、名前先輩が一年に声をかけて仕事に戻してくれた。さすがだ。そして、七松先輩が壊した壁を直していた俺のところにやってきて、にこりと笑う。


「手伝うよ、富松」
「ありがとうございます、名前先輩」
「それにしても、懐かしいねえ」


 名前先輩はすっと目を細めて、壁を撫でた。そういえば、七松先輩がこの穴を空けた時、名前先輩もバレーに参加していた気がする。つまり、名前先輩が怪我をして帰ってくるもっと前のことだ。そんなに前にできたものなのかと思うと同時に、食満先輩が委員会に来なくなってから随分経つことにも気づいてしまった。一年生たちも始めのうちは「食満先輩が来てくれない」って毎日みたいに泣いていたけど、最近じゃあこいつらの口から食満先輩の名前も聞かなくなった。他の先輩方と一緒に天女と笑いながら歩いている食満先輩を見かけたときのこいつらの顔は、正直見ていられない。泣きたいのに、泣けばいいのに、泣かない一年生たちの頭を撫でてみても、俺じゃあ食満先輩の代わりには、なれない。どうにかして委員会に来させたいと思っていたはずなのに、こんなに長いこと姿を見せないとなると、もう見捨てられたような気になって、しまった。だから、こいつらも、俺も、もう食満先輩を呼び止めることはしなくなった。もう、わざわざ傷つきたくない。
 「富松?」名前先輩の声にはっとする。視線を向ければ、心配そうにこちらを窺う名前先輩と目が合って、俺はぎこちない笑顔を浮かべてみる。そんなんでこの人を欺けるとは思っていない。


「富松、それ、笑ってない」
「そんなはっきり言わなくても…」
「富松は言葉にしてくれないからね」
「…それは、名前先輩のことじゃないですか」


 恨みがましく呟けば、名前先輩はふわりと笑って、両手で俺の髪をぐしゃぐしゃと撫でる。その顔がやけに優しくて、俺はそっと視線を地面に落とした。どうして、どうして貴方はそうも優しく笑えるのだろう。今一番つらいのは、貴方なのに。名前先輩が全ての委員会を回って、下級生だけでも活動できるように調整してくれていることは知っている。昨日は生物委員会と一緒に毒虫探しをしていたし、その後は会計委員会と帳簿の計算、他の委員会の仕事もして、本当に休む暇なく動き回っている。それでも疲れた様子を見せない名前先輩が、いつか倒れてしまうんじゃないかと心配になるけど、その点においては数馬が鬼のごとく名字先輩の健康管理しているから、ただの杞憂に過ぎない。どす黒い空気をまとった笑顔で、四年長屋まで押し掛けている数馬の姿に普段の温厚な様子はない。いつのことだったか、珍しく物凄く真面目な顔で「数馬が鬼なんだけど、善法寺先輩越えしそうなんだけど、お願いだから誰か止めてくれない?」と相談してきた名字先輩の必死な様子は、今後一生見ることはないだろう。もちろん、俺たち三年生が数馬を止めるわけがなく、酷く落ち込んでいた名前先輩の様子を思い出し、俺はふっ、と吹き出してしまった。


「あ、富松が笑った。思い出し笑い?」
「まあ、そんなところです」
「ふふ、みんなが笑っていてくれたら、私は幸せだなあ」
「俺たちは、貴方が笑っていてくれたら、幸せですけどね」
「おや、どうしたの、富松。今日はいつにも増して男前だね」
「…あの、名前先輩、」
「あ〜、先輩たちさぼってるー!」
「ずる〜い!」


 どたばたと走り寄ってきた一年生たちに名前先輩は頬を緩め、俺の髪を名残惜しそうにひと撫でしてから手を離した。そのまま抱きついた喜三太を抱き止め、ずるいずるいと駄々を込めるしんべヱと平太に「順番ね」と笑う。酷く優しい光景だと思った。そして、食満先輩のようだ、とも。最近塞ぎこんでいたこいつらをいとも簡単に笑顔にして、俺の心配までしてくれて、本当に名前先輩には頭が上がらない。学年がひとつ違うだけで、こうも違うのか。いつか俺もこんなふうになれるだろうか。笑顔で俺の名前を呼ぶ一年たちに手を引かれ、俺もつられるように笑った。前を歩く名前先輩の手を取って、振り向いた名前先輩に、俺はさっき言い損ねた言葉をぶつけた。


「名前先輩、心配してくださってありがとうございます」
「心配?そんなものはしていないよ。だって、君たちはとても頼もしいもの」


 私は可愛い後輩たちの手伝いをしただけだよ。
 そう言って微笑んで、緩く手を握り返してくれた名前先輩に、一生勝てないと思った。







120514

オチが見つからない…。
富松は主人公に淡い憧れを抱いていたら可愛いなと思います。