先日の長期任務がやっと終わったことで、どうやら気が緩んでいたようだ。思わず薄暗い穴の中でため息を吐く。長屋に向かう途中でふと空を仰いだ次の瞬間には足元の地面が崩れ、落とし穴に落ちていた。不運委員会と呼ばれている保険委員会のなかで、唯一不運じゃない私は、みんなに比べると喜八郎が掘った落とし穴や蛸壺に落ちる回数が極端に少ない。そして不運を発揮して怪我をするということも少ない。とはいえ、ちょっと気を抜けば、こうして落ちたりするわけだけど。
 やれやれと思いながら頭上を見上げると、丸く刳り貫かれた青い空が目に入る。嗚呼、綺麗だ。


「おやまあ、珍しい」
「ああ、喜八郎、少しばかり手を貸してくれると、え、うわ!」


 ひょっこりと顔を出した喜八郎が、なぜか嬉しそうに顔を緩めて、そのままぴょんっと落ちてきた。私と向かい合って足を跨ぎ、猫のように擦り寄ってくる喜八郎はとても可愛らしい。が、狭い。もともと一人用の落とし穴に男が二人も入ったら、そりゃあ狭いに決まっている。喜八郎が私の上から退かない限り、外に出るのは不可能だろう。私は喜八郎の髪をふわりふわりと撫でた。


「喜八郎、狭くないか」
「狭くない」
「う、うん。そうか」


 あまりにはっきりした返答に気圧され、私は何も言い返せなかった。でも喜八郎が嬉しそうだから、いいかなあ。私は喜八郎の髪を撫でながら、丸い空を見上げる。今夜は月明かりが綺麗な夜になりそうだ。


「名前」
「ん、なぁに?」
「今夜は任務あるの」
「…うん、あるよ」
「…そう」


 喜八郎の不貞腐れたような口調に、思わず困ったような笑みがこぼれる。するりと喜八郎の頬を撫でると、喜八郎がゆっくりこちらに視線を向けて、不思議そうに首を傾げた。私は喜八郎の両の頬に手を伸ばし、左右に軽く引っ張る。途端に、喜八郎の眉間には皺が寄り、みるみるうちに唇を尖らせた。


「ふふ、可愛い」
「…名前のばか」
「心配してくれてありがとう、喜八郎。朝にはちゃんと帰ってくるから、ちゃんと寝ているんだよ」


 つまんでいた喜八郎の頬から指を離し、ふわりと頬を撫でる。小さく、物凄く不服そうに頷く喜八郎の髪を撫でると再び擦り寄ってきた喜八郎に、笑みをこぼした。

 私が任務に就くようになったばかりの頃、三日ほど学園に帰れなくなったことがあった。三日目の昼に帰ってきた学園で最初に目にしたものは、ぼろぼろと涙を溢す喜八郎の姿だった。もうそんな思いはさせたくないから、一晩では片付かないだろう任務のときは必ず伝えるようにしているというのに、喜八郎は一晩くらいなら平気で私の帰りを待っている。それがどんなに私を焦らせているか、知らないのだろうなあ。
 でも、任務帰りの私を「おかえり」と言って出迎えてくれるその心地好さに、酷く安心しているのは、私のほうだ。





120214

綾部は主人公に対してすきすきかまってちゃん。で、主人公の前ではわりと表情豊か、というよりも主人公がわずかな変化に気付きやすい。主人公は綾部が猫みたいで可愛い。
綾部が泣く話は、そのうち番外編とかで書きたいです。