これは数日前の話。嘘のようだが、全て本当に起こったことだ。

 その日も学園はいつものように騒がしかった。校庭では六年生が組手の授業をしていて、先生の声に交じって潮江先輩や食満先輩の声が聞こえてきていた。俺も組手の授業が良かったな、そう思ってふと窓の外に視線を移したとき、青い空にひとつの影を見つけた。最初は鳥かと思ったが、それは明らかに鳥の動きではなかった。物凄い早さで落ちているそれは、人の形をしているように見えた。真っ直ぐに学園に向かって落ちてきている。俺は思わず目が離せなくなり、先生が注意する声にも反応できなかった。大きく目を見開く俺を不審に思ったのだろう、先生も窓の外を見て、俺と同じように目を見開いた。俺はどちらかというと勘がよく働く方で、特に良くないものに関しては一際敏感だった。だから、それが人間だと形が明らかになった瞬間に背中に走った、ぞわり、という感覚に、あれは良くないものだと判断した。冷や汗が浮かぶ。そのまま地面にぶつかって消えろ、と見知らぬ人間に対して強く願った。俺の本能が拒絶していた。
 俺と同じようにそれに気づいて、騒然となる教室。皆が窓に駆け寄り、それの行方を追った。『それ』は、六年生のいる校庭に向かっていた。


「教室で待機しているように!」


 先生はそう指示するなり、教室を出ていった。誰かがそれに続いて教室から飛び出す。そこからは池の水が決壊したときのように、廊下は途端に人で溢れた。向かう先は、校庭。隣を走る友人がやけに神妙な顔をしていた。


「なあ、あれは、何だった?鳥か?人間か?化物か?」
「…わからない。ただ、良くないもののような気がする」
「お前の勘は当たるんだから、そこは嘘でも気にするなって言ってくれよ」


 まるですがるような口調の友人はそれきり黙ってしまった。あれを良くないものだと直感したのは、どうやら俺だけではなかったようだ。俺の周りは妙な静けさに包まれていた。

 俺達が校庭に着いた時には、『それ』は食満先輩に受け止められていた。確かに、人間だった。あの速さで落ちてきた人間をどうやって受け止めたのか、後から聞いた話では、『それ』は食満先輩の腕に収まる直前でふわりと浮いたらしい。俺なら絶対に触れたくない。
 『それ』は女だった。奇妙な着物を身につけていて、それに隠されている部分は極端に少ない。だらり、と落ちている腕や足は町娘のように、いや、俺が知っている町娘の誰よりも細く、肌は透けるように白い。か弱い女を具現化したような容姿だった。それはそれは美しいかんばせで、誰かがぽつりと「天女様だ」と言った。『それ』はそれほど異質だった。俺は当然のように警戒した。そして当然のように、皆がそうしていると思った。先生方に連れられ、呆然とその背を見ている上級生たちも、きっと学園を思い、『それ』を睨みつけているものだと信じていた。





 さて、ここまででも十分におかしな話なのだが、この話には続きがある。
 その後、医務室で目を覚ましたその女は、先生方によって「間者の可能性は低いが断言はできない」と判断された。そして、事務員としてしばらく学園で面倒を見ることになった。名前は、黒川綾。へいせい、という今から六百年ほど未来からやってきたと、気の狂ったようなことを話したらしい。到底信じがたい話だったが、その生活能力のなさとやけにひ弱な身体を見ると、信じざるを得ないような気もする。あれは、軟弱過ぎる。
 その女は右も左もわからないこの忍術学園で、よく笑い、よく働いていると思う。だけど、それを邪魔しているのは、一部の上級生たちだ。口を開けば「天女様」「綾さん」と、女の後ろをまさしく金魚の糞のようについて回っている。頭がおかしくなったとしか言いようがない。三禁など忘れて、愛に溺れているのは誰が見ても明らかだ。え、授業?委員会?さあね、出ていないんじゃないか?俺はどの委員会にも属していないし、四年い組にはそんな人間いないから、詳しいことは知らない。…嗚呼、二人、馬鹿がいたのを思い出した。平滝夜叉丸と綾部喜八郎だ。あいつら、お前が消息を絶ってから見るに堪えないほどやつれていたのに、あの女がやってきてからはまるで別人だ。お前に依存しているように見えたのだけどなあ。やはり、あの女は間者で、幻術でもかけているんじゃないだろうか。そういえば、何やら下級生の一部がお前を天女様とやらに奪われないようにと躍起になっているとも聞いたが、それは本当のようだな。お前の部屋がこんなに物が溢れているのを初めて見たよ。まあ、あの女が何だろうと、俺に被害がなければ構わないんだが、上級生、特に六年生がこのまま不甲斐ないままでいられると、確実に学園の評価が下がる。そうなると困るのは俺たちだ。
 さあ、お前はどう思う?聞かせろよ、名字。









120423

今回のお話は「四年いろは組合同実習」の際に登場したい組の彼視点でお送りいたしました。彼が好きだとコメントをいただいていたのを思い出しまして、はい。
たぶん彼が主人公の部屋に見舞いに来たときの話です。

天女:黒川綾
名前は固定させていただきます。ご了承ください。
綾ちゃんが最初に着ていたのは夏服の制服です。一応。