名前先輩が目を覚ました。乱太郎たちからその知らせを聞いて、実際に名前先輩が身体を起こして笑っている姿を見たら、後輩の前だというのに、ぼろぼろと泣いてしまった。名前先輩はそんな僕の手を握って、少し冷たい指先で涙をぬぐってくれた。


「心配かけてごめんね。数馬が私を助けてくれたんだろう?」
「、名前先輩、覚えていないのですか」
「なにを?」
「落とし穴に落ちていた僕を、助けてくださったこと」
「いや、ああ、でも、最後に聞いたのは、数馬が私を呼んでいる声だったよ。何にせよ、私は数馬のおかげで助かったんだ。本当にありがとう」


 嬉しそうに笑う名前先輩に、僕も口元を緩める。名前先輩を取り合うように乱太郎、きり丸、しんべヱが布団の周りに集まり、それに遅れてやってきた伏木蔵と左近が混ざり、部屋は一気に騒がしくなる。まだ傷が痛むのだろう、名前先輩の動きはぎこちない。だけど、いつもと変わらずに微笑んでいる。あの左近が珍しく一年生に混ざって名前先輩の袖を握り、毒舌を吐きつつも、嬉しそうに笑っている。何も変わらない光景に、僕は自然と笑顔になっていた。


「名前先輩、怪我は痛くないですか」
「無理は良くないです…」
「俺、毎日名前先輩のご飯もってきますね!」
「ふふ、ありがとう。みんなにお礼しなくちゃだねえ」
「僕、おいしいものが食べたいですぅ!」
「あ、いいね。今度街に行こうか」
「その前に補習がありますよ」
「おやおや、そんなこと言うのはどの口かなぁ?」


 名前先輩が左近の頬を引っ張る。「いひゃいっ!」と声を上げる左近を見て、楽しそうに名前先輩が笑うと、その場がふわりとあたたかい雰囲気になる。名前先輩の周りはいつもそうだった。笑顔があふれていた。名前先輩を嫌いな人なんて、きっとこの学園にはいない。だってこんなにも僕たちを愛してくれている人は他にいないのだから。愛されるべき人は、この人だ。
 そうして名前先輩と久しぶりの会話をしていると、名前先輩が「そういえば、」と首を傾げた。


「善法寺先輩はいないのか?真っ先に叱られるのを覚悟していたのだけど」


 不思議そうに尋ねる名前先輩の問いかけに、僕たちは全員口をつぐんだ。気まずい空気が流れて、名前先輩は困ったように「ついに私に愛想を尽かして、会いたくもない、のかなあ」と包帯だらけの手で頬を掻く。そんなことは絶対にない、ないのだけど。
 名前先輩が眠っている間に、ある出来事が起きた。そのせいでこの忍術学園は混乱している。『あれ』のせいで、僕たちは泣いている。『あれ』は有害だ。僕でさえも簡単に予測できることを何故わからないのだろう。何故信用できるのだろう。理解ができない。


「あー、うん、まあ、いいか。まだ私も起きたばかりで、叱られるのは嫌だし。そうだ、みんなの話を聞かせておくれ。きり、アルバイトの方はどう?」


 黙り込んでしまった僕たちを見かねて、名前先輩が話を無理やり変えてくれた。一番近くにいるきり丸の頭を撫で、ふわりと笑う。きり丸が話し出そうと口を開いたとき、こちらに向かってくる足音が聞こえてきた。知らない気配を感じ取ったのか、名前先輩が「学園長先生の客でも来ているのか」と再び首を傾げる。僕は慌てて立ちあがり、襖を閉めた。僕の行動にほっと息を吐いた後輩たちを名前先輩は不思議そうに見ていた。見ないで。知らないでいて。僕たちからこの人を奪わないで。これ以上、大切なものを壊さないで。曖昧に笑う僕を見て、名前先輩は少し拗ねたような顔をする。だけどすぐに後輩たちの話に耳を傾け、微笑んだ。いつもと同じように。この部屋だけ、何も変わっていないかのように。
 だけど僕の、僕たちのそんな希望は、次の瞬間にいとも簡単に裏切られた。


「あら、こんなところで何をしているの?」


 襖がやけにゆっくりと開いて、ひとりの女が中を覗き込んで、微笑んだ。僕は、その女を見た名前先輩の目が、他の先輩たちと同じように変わるのを見た。確かに、見てしまった。後輩たちの顔に、絶望の色が浮かぶ。きっと僕も同じ顔をしている。

 どうして、すべてを奪っていくの。










120420

天女編突入です。