学園中が寝静まる中、俺は一人で鍛練をしていた。そろそろ部屋に戻ろうかと通りかかった四年長屋で、縁側に座り込む名字を見つけた。いつもののらりくらりとした様子はなく、ぼんやりと虚ろな目で遠くを見つめている。その異様な様子に心配になるが、相手が名字だというだけで、俺は思わず戸惑ってしまった。あの任務の日に向けられた突き刺さるような殺気が忘れられない。俺は情けないことに、二つ下の後輩に対して、微かな恐怖を抱いている。
 だからといって、あまりに異様な様子の名字をこのまま放っておくことはできず、俺は名字のほうに足を向けた。


「名字」
「っ、あ、食満先輩、こんばんは」
「おう」


 俺が声をかけると驚いたように肩を揺らし、勢いよく振り向いた。相手が俺だとわかると、名字はほっと息を吐き、いつものようにへらりと笑った。実習の成績は学年一と言われる名字が、普通に歩いてきた俺に気付かないなんて、相当深く考え事をしていたのだろうか。「隣、いいか」と言うと、名字は嬉しそうに頷き、俺は名字の隣に腰を下ろした。微かに白梅の匂いがする。


「鍛練していたのですか?」
「ああ、さっきまでな。で、お前は何をしてたんだ」
「いや、まあ、これといって何かをしていたわけじゃないんですけど」
「…眠れないのか」
「まあ、はい。あ、でもよくあることなので、大丈夫ですよ」


 名字は情けない顔をして笑ってみせたが、俺はその発言に引っ掛かった。眠れないことがよくあるだけでも良くないのに、そんな身体であの量の任務をこなしているのか。
 あの日、任務中の名字に会った日から、俺と伊作は少しの間名字を観察してみた。休日はほとんど任務に当てられているようで、学園にはいないことが圧倒的に多い。夜の任務のときは、授業が終わった後にこっそりと抜け出して、朝方に帰ってくる。そして、他の生徒と同じように朝食を食べ、授業に向かう。いつ寝ているのかというと、おそらく授業中だろう。座学の成績があまりにも悪いのも頷けた。任務の内容までは調べられなかったが、名字はわりと頻繁に学園から姿を消す。伊作は本当に名字のことを心配していて、名字の話になるといつも泣きそうになる。俺たちが名字の任務のことを知っていることを知られたら、名字は退学させられるかもしれないから、俺たちは何も言えないでいる。


「俺でよかったら相談乗るぞ」
「ありがとうございます。でも思い当たることは特にないんです。だからどうしようもないというか…」
「…本当に、何もないんだな」
「ないですねえ。そのうちまた眠れるようになりますよ」


 名字はまたへらりと笑う。明らかに嘘だ。何もないなら、あんな虚ろな目はしない。俺はあの目に見覚えがあった。伊作だ。伊作が実習で人の命を奪ったり、死んだ人を目の前にした時、六年になった今でもあの虚ろな目をする。この忍術学園では五年になって初めて、暗殺の任務に就く。この任務で忍術学園を去る奴は少なくはない。俺も初めて人の命を奪った時は眠れない日々を送った。あの最期の瞬間の顔がまとわりついて離れないのだ。今でもたまに眠れなくなる時がある。名字がどんな任務に就いているのかは知らないが、あの日、名字の手甲鉤からは確かに血が滴っていた。それが示すものは何か、見れば誰にでもわかるだろう。
 夜空をぼんやりと眺めている名字の横顔は、年齢よりも大人びて見える。ここにいるのが伊作だったら、うまく悩みを聞き出すことができたかもしれない。何か力を貸してやれたかもしれない。
 俺はその夜、自分の不器用さを酷く後悔した。






120329

主人公は四年以外から見ると、謎ばかりのようです。
あ、暗殺の任務うんぬんは勝手な想像ですので、ご注意くださいませ。