どぼんとふわり

 学祭が近くなってくるとなかなかスタジオが取れなくて、仕方なく大学からは少し遠い、勘と兵助が高校のときによく来ていたというスタジオにやって来た。ライブハウスも貸しスタジオもあるというその店はかなり賑わっていた。受付に並んでいると、勘が不意におそらく事務所へと続く廊下に視線を向けた。


「あっ!」


 途端、勘がいきなり大きな声を出して、廊下をばたばたと走り出す。なにやってんだあいつ、と思いながら、勘の走り出した先に視線を移せば、廊下に段ボールを置いて、その前にしゃがみこんでいる女がひとり。その女に向かって勘は思いっきり抱きついた。げっ。私の視線につられた八左が「え、あいつ何やってんの…」と若干引いていた。勘のタックルに「うわあ!」と可愛くない悲鳴を上げて尻もちをついた女の頭を、勘がぐしゃぐしゃに撫で回している。犬を相手にしてるみたいな可愛がり方だ。


「ゆうじゃん!久しぶりー!」
「うわっ、ぶ、や、やめ、てください、ってば!もう!尾浜さん痛い!」
「なにお前、まだここで働いてんの?大学は?この近く?」
「ちょ、もう!髪ぐしゃぐしゃにするのやめてください!」


 勘の過剰なスキンシップに全力で抵抗しているゆうという女の顔が、やっとこっちに見えた。ああ、普通。特別可愛いわけでもない。可愛くないわけでもないけど、どこにでいる顔だ。アッシュ系のカラーに染まった髪が勘の手によって柔らかく動く。短いパンツから伸びた足がとても綺麗なのが目に付いた。その足に似合わず、スニーカーがごつくて真っ赤なスポーツシューズだったせいもあるかもしれない。やっと勘から解放された彼女は、ぐしゃぐしゃの髪を直して文句を言いながらも、嬉しそうな顔が隠し切れていないようだった。高校のときの後輩か何かだろうか。それにしては、スキンシップ激しくないか?廊下の端っこにしゃがみ込んで「元気そうで安心した」「尾浜さんもお元気そうで何よりです」と改めてちゃんと挨拶している間も、勘はその子の手首を掴んで離さなかった。


「てかゆう痩せた?ちゃんと食べてる?」
「食べてますって。このくらい普通ですよ。あ、尾浜さんたち、スタジオ借りに来たんですよね?そろそろ時間になりますよ」
「そうだった!あれ、おれの愉快な仲間たち。兵助は知ってるでしょ?」
「えっ!久々知さんどこですか!わあ相変わらずかっこいい…!」
「ちょっとー、おれと明らかに態度ちがくなーい?」


 久々知さんは女子の憧れでしたから、と素直に答えた彼女の頭をべしり、と叩いた勘の表情は、まるで恋するそれに見えて、驚いた。遊び人で有名なあの勘に、あんな顔をさせるなんて。この前のお前に言い寄ってた女のほうが綺麗だったし、スタイルもよかったと思うけどな。さっきから名前が挙がっている兵助に「高校の後輩?」と聞けば、「ここでバイトしてたときの後輩」と返ってきた。こっちは相変わらず女に興味がないようで、兵助に向かって手を振る彼女に適当に手を振ってやっている。八左が兵助に興味津津でいろいろ聞き出そうとしているけど、受付を終えた雷蔵が戻ってきて話は中断された。勘のほうも、奥の事務所から強面のおっさんが顔を出して「ゆうちゃーん?男に声かけられて浮かれてる暇はねえぞー?」と声が飛んできて、呼ばれた本人はまた「ぎゃあ!」と可愛げのない声を上げた。


「すぐ戻りますごめんなさい!じゃあ尾浜さん、また!」
「あ、待ってゆう、あのときから連絡先変えた?」
「変えてないです」
「じゃああとで連絡する。邪魔してごめんね」
「いえ、尾浜さんに会えてうれしいです。練習がんばってください。では」


 さっき片付けていた段ボールを抱えて、勘と、こっちにもにっこりと笑って頭を下げて、彼女は事務所の方に駆けていった。赤い、ごついスニーカーがごつごつと床を蹴る様をなんとなく眺めていると、勘は「ごめーん」と舌を出して謝りながらこっちに戻ってきた。私たちの前でかわいこぶったって意味ないのに、まったく。3階にあるスタジオに向かう途中、隣を上機嫌で歩く勘の肩をどつけば、勘は「いったいなあ」とへらへら笑った。なんだこいつ、気持ち悪いくらい機嫌がいい。


「さっきの、元カノか何か?」
「んー、ゆうはそういうんじゃないんだよねー」
「はあ?」


 ふふ、と嬉しそうな顔をして「さあ歌うぞー!」と階段を駆け上がっていく勘の後ろ姿に、私は思わずため息をついた。そういうんじゃないって、じゃあなんでそんな顔をしてるんだ、なんて聞くほど、他人の色恋沙汰に興味はない。





20131013

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -